フランクフルト・アム・マインで生まれた。父親も画家で、母親は多くの画家を出したティシュバイン家の出身であった。12歳の時父親を亡くし、カッセルの美術館のインスペクターなどを務めていた叔父のヨハン・ハインリヒ・ティシュバインのもとに1801年に送られ美術教育を受けた。1805年にウィーン美術アカデミーに入学した。当時のウィーン美術アカデミーはハインリヒ・フリードリヒ・フューガー(Heinrich Friedrich Füger)のもとで、新古典主義の教育が行われていた。生徒たちの反発によって紛争がおこり、一部の生徒たちはアカデミーを出て、新しい画家グループを作った。プフォルも1810年にローマに出て、ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック、ルートヴィヒ・フォーゲル、ヨハン・コンラート・ホッティンガーと、「聖ルカ兄弟団」を結成した。これが「ナザレ派」と呼ばれる画家集団の始まりとなったが、プフォルは1812年に結核で、現在のイタリア、ローマ県のアルバーノ・ラツィアーレで没した。
Stefan Matter, Maria-Christina Boerner: – kann ich vielleicht nur dichtend mahlen? Franz Pforrs Fragment eines Künstlerromans und das Verhältnis von Poesie und Malerei bei den Nazarenern. Köln/Weimar: Böhlau 2007 (Pictura et poesis 25), ISBN 9783412200558
Heinrich Thommen: Im Schatten des Freundes: Arbeitsmaterialien von Franz Pforr im Nachlass Ludwig Vogels. Basel: Schwabe 2010 (Schriften der Stiftung für Kunst des 19. Jahrhunderts Olten), ISBN 978-3-7965-2700-5