フランシス・ベイヴィア
フランシス・エリザベス・ベイヴィア(Frances Elizabeth Bavier 1902年12月14日– 1989年12月6日)はアメリカ合衆国の舞台及びテレビ女優。ニューヨークの劇場で活動を始め、1950年代から映画やテレビで活動をするようになった。1960年から1970年の『メイベリー110番』、『メイベリー R.F.D.』のビーおばさん役で知られる。『メイベリー110番』の役の中で10年間という最も長い期間演じられたキャラクターである。1967年、この役でエミー賞助演女優賞コメディ部門を受賞。 経歴ニューヨークで生まれ、コロンビア大学とアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで学ぶ。ヴォードヴィルで活動を始め、ブロードウェイ・シアターに進出[1]。多数の映画にも出演し、幅広い役柄でテレビ出演も果たす。ヘンリー・フォンダと共演した舞台『Point of No Return 』、1951年の映画『地球の静止する日』のバーレイ夫人役などに出演。1957年、『The Eve Arden Show 』のシリーズで主人公の母親ノラ・マーティン役を演じた。 1960年より『メイベリー110番』に彼女の最も有名な役であるビーおばさん役で出演。ニューヨークでの活動中、彼女自身才能が見出されることがないと感じていたが、ビーおばさんとして『メイベリー110番』に出演後、唯一オリジナル・キャストでスピンオフ『メイベリー R.F.D.』の2シーズンにも続けて出演した[2]。ビーおばさんの肝っ玉母さんキャラに比べて実は本人は繊細で、現場のスタッフからは「卵の殻の上を歩いている(非常に用心深い、の意)」と言われていた。1967年、プライムタイム・エミー賞助演女優賞コメディ部門を受賞。『メイベリー110番』主演のアンディ・グリフィスは撮影中彼女と時々衝突したとしている。1998年4月24日『Larry King Live 』でグリフィスは、彼女の死の4ヶ月前に電話があり、撮影中の出来事を彼女に深く謝られたことを明かした。 後年1972年、女優業を引退し、ノースカロライナ州シラー・シティに家を買った[3]。生まれ育ったニューヨークではなくノースカロライナ州を選んだことに関してインタビューで「道や木々など、ノースカロライナの全てがとても気に入ったの」と答えた。1974年、家族向け映画『ベンジー』に一時的に復帰。彼女は未婚で子供もいなかった。一見、個人的な付き合いは苦手のようだが、職場やファンの人たちには人当たりが良かった。1981年、クーリエ・トリビューン誌の記者チップ・ウォミックの記事によると、クリスマスおよびイースター・シールズをシラー・シティの自宅から熱心に助成しており、ファンレターをくれた人に熱心な返事を書くこともあった。しかしあまりにも熱狂的なファンに敷地に侵入されることもあり、隠匿生活に入るようになった。 1986年、テレビ映画『Return to Mayberry 』の撮影の頃には体調が悪化しており、作品中ではビーおばさんは亡くなったことになった。 30代の頃からスチュードベーカー車のファンであった。『メイベリー R.F.D.』では彼女自身が所有する1966年製デイトナ2ドアスポーツセダンを運転していた。サウスベンド工場最後の車種で1964年から1966年の間カナダで製作された。彼女の生存中ずっと完全なコンディションを保ち、運転手が買い換えることを提案した時にはこれを拒否した。彼女の健康が悪化し車に乗ることがなくなると、車庫に入ったままタイヤは4本パンクし、内装は猫達に破壊されていた。彼女が亡くなってから1年後、オークションで2万ドルで落とされ、今も車庫で見つかった時のコンディションのままである。落札者は、これをもし修理してしまえばもはやそれはビーおばさんのスチュードベーカーではなくなってしまう、と考えている。彼女はスチュードベーカー・ドライバーズ・クラブの会員でもあった。 逝去1989年11月22日、チャタム病院に入院。心血管疾患とガンに苦しんでおり、2週間集中治療室に入った。1989年12月4日退院し、2日後自宅で心筋梗塞で亡くなった。 シラー・シティのオークウッド墓地に埋葬された[4]。墓標には彼女の最も有名な役である『ビーおばさん』の名前と『人々の心の中で生き続ける』と記されている。 出演作品
脚注
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