ᡶ᠋ᡠᠮᠠᠨ
氏族 |
アイシン・ギョロ氏
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名称表記
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仮名 |
フマン
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転写 |
fuman
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漢文 |
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尊号
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慶王
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諡号
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興祖直皇帝[1]
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出生死歿
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出生年 |
不詳(15-16世紀?)
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死歿年 |
不詳(16世紀?)
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一族姻戚
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父 |
シベョチ・フィヤング
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子 |
清景祖翼皇帝[1]・ギョチャンガ
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孫
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清顕祖宣皇帝[1]・タクシ
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曾孫
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清太祖高皇帝・ヌルハチ
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フマンは、アイシン・ギョロ氏女真族。アイシン・グルン (後金) 始祖・ヌルハチの曽祖父で、明朝中期に建州左衛[2]都督を務めた。[3]
玄孫・ホンタイジの代 (1636年) に慶王と追尊され、来孫・フリン (順治帝) の代 (1648年) に興祖直皇帝 (廟号:yendebuhe mafa, 諡号:tondo hūwangdi) と追諡された。[4]
一族
父祖
- ファンチャ (fanca, 樊察):ブクリ・ヨンション (bukūri yongšon, 布庫哩・雍順) とベリ・ゲゲ (beri gege, 百里・格格)[5]の後裔。都督。
- 子 (名不詳)
- 孫・メンテム (mentemu, 孟特穆):ファンチャの孫。肇祖原皇帝。[1]
- 曾孫・チュンシャン (cungšan, 充善):メンテムの長子。
- 玄孫・トロ (tolo, 妥羅):チュンシャンの長子。
- 玄孫・トイモ (toimo, 妥義謀):チュンシャンの次子。
- 玄孫・シベョチ・フィヤング (sibeoci fiyanggū, 錫宝斉・篇古):チュンシャンの三子。
- 曾孫・チュヤン (cuyan, 褚宴):メンテムの次子。
子孫
- 長子・デシク (desiku, 徳世庫)
- 孫・スヘチェン・ダイフ (suhecen daifu, 蘇赫臣・代夫):デシクの長子。
- 孫・タントゥ (tantu, 譚図):デシクの次子。
- 孫・ニヤングフィヤング (niyanggu fiyanggū, 尼揚古・篇古):デシクの三子。
- 次子・リョチャン (liocan, 瑠闡)
- 孫・ルフチェン (luhucen, 禄瑚臣):リョチャンの長子。
- 孫・マニンゲ (maningge, 瑪寧格):リョチャンの次子。
- 孫・メントゥ (mentu, 們図):リョチャンの三子。
- 三子・ソオチャンガ
- 四子・ギョチャンガ
- 五子・ボオランガ
- 六子・ボオシ
脚註
- ^ a b c d “太祖本紀”. 清史稿. 1. 清史館. https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷1#序言
- ^ “部族七”. 滿洲源流考. 7. 四庫全書. https://zh.wikisource.org/wiki/欽定滿洲源流考_(四庫全書本)/卷07. "明實録永樂二年置建州衛十年 (編者註釈:1412年) 置建州左衛宣德七年置建州右衛"
- ^ 滿洲實錄. 1. 四庫全書. https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/mqlc/hanjishilu?@1^920988782^802^^^702110110002000100010002@@916457456#top
- ^ 編輯前からある為、そのまま遺したが、脚註なし、典拠不詳。
- ^ 漢文版『滿洲實錄』巻1では「百里女」。
参照
史籍
- 章佳・阿桂, 于敏中, 鈕祜祿・和珅, 董誥『欽定滿洲源流考』四庫全書, 1778 (漢文)
- 編者不詳『滿洲實錄』巻1, 四庫全書, 1781 (漢文) *中央研究院歴史語言研究所版
- 編者不詳『manju i yargiyan kooli:滿洲實錄)』巻1, 四庫全書, 1781 (満文)
- 趙爾巽, 他100余名『清史稿』清史館, 1928 (漢文) *中華書局版
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