政治家ジェームズ・フィッツジェラルド(1742-1835)は法廷弁護士や庶民院議員として活動した[1]。彼は公職引退後の1826年に叙爵を打診されたが固辞したため、その妻キャサリン(1759-1832)に対して同年7月31日にアイルランド貴族爵位のクレア県クレア及びインチクロナンのフィッツジェラルド=ヴィージー男爵(Baron FitzGerald and Vesey, of Clare and of Inchicronan in the County of Clare)が与えられた[註釈 1][2][3]。彼女が1832年に亡くなると、夫妻の長男ウィリアムが爵位を継承した[1]。
2代男爵ウィリアム(1783-1843)はトーリー党の政治家として陸軍支払長官や商務庁長官を歴任したのち、1835年1月10日にコーク県デズモンド及びクラン・ギボンのフィッツジェラルド男爵(Baron FitzGerald, of Desmond and of Clan Gibbon in the County of Cork)に新規に叙された[註釈 2][4][5]。この爵位は連合王国貴族爵位であるため、彼は貴族院に列せられた[5]。また、彼には庶子ウィリアム(英語版)がいたものの嫡出子でなかったため、その死去に伴ってフィッツジェラルド男爵は一代で途絶えた[4]。他方、アイルランド爵位のフィッツジェラルド=ヴィージー男爵は弟のヘンリーに継承されている[1][4]。