ファーンバラ男爵ファーンバラ男爵(ファーンバラだんしゃく、英語: Baron Farnborough)は、連合王国貴族の爵位で、2度創設された。 トーリー党の政治家で庶民院議員、枢密顧問官、アイルランド担当次官、陸軍支払長官を歴任したチャールズ・ロングは、1826年7月8日にケント州におけるブロムリー・ヒル・プレイスのファーンバラ男爵(Baron Farnborough of Bromley Hill Place, co. Kent)に叙された[1]。しかし、後継者を残さず1838年1月17日に死去したため、爵位は一代で廃絶した[1]。 憲法学者、庶民院書記官で著作『議会の法、特権、手続と慣習に関する論』(A Treatise upon the Law, Privileges, Proceedings and Usage of Parliament)で知られるトマス・アースキン・メイは、1886年5月11日にサウサンプトン州におけるファーンバラのファーンバラ男爵(Baron Farnborough, of Farnborough, co. Southampton)に叙された[1]。しかし、そのわずか1週間後の1886年5月17日に死去し、爵位は一代で廃絶した[1]。爵位創設から廃絶までが7日間という記録は、1日で廃絶したレイトン男爵(1896年)についで2番目の短さである[1]。 ファーンバラ男爵(1826年)
ファーンバラ男爵(1886年)
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