ピロシュカ
ピロシュカ(Piroska、1088年 - 1134年8月13日)は、東ローマ帝国コムネノス王朝の第2代皇帝ヨハネス2世コムネノスの皇后。父はハンガリー王ラースロー1世、母はシュヴァーベン公ルドルフ・フォン・ラインフェルデンの娘アデライデ・フォン・ラインフェルデン。ギリシャ名はエイレーネー(Ειρήνη)。 生涯エステルゴムで生まれる。2歳で母と、7歳で父と死別して孤児となった彼女は、父の跡を継いでハンガリー王となった従兄カールマーンのもとで育てられた。 カールマーンは東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスと交渉し、ピロシュカを皇子のいずれかに娶せようと計画した。ピロシュカは、1092年より父と共同統治帝となっていたヨハネス・コムネノスと結婚することとなった。 1104年にピロシュカはコンスタンティノープルで結婚し、名前もギリシャ風にエイレーネー(Ειρήνη・Eirene、中世ギリシャ語ではIrene「イリニ」)と変えた。2人の間には、8人の子が生まれた。 |