ピアノ協奏曲 (パデレフスキ)
ピアノ協奏曲 イ短調 Op.17は、イグナツィ・パデレフスキが1888年に作曲したピアノ協奏曲。 概要パデレフスキは現在のポーランドのクルィウフカに生まれた。彼は1877年にワルシャワ音楽院を卒業して、翌年に同音楽院のピアノ科で教えるなど、音楽家としての道を歩み始めていた[1][2]。次にベルリンへと赴いた彼はフリードリヒ・キールに作曲を、ハインリヒ・ウルバンに管弦楽法を師事した。ベルリンではアントン・ルビンシテインから作曲により力を注ぐよう助言を受けたが、その後もパデレフスキはほとんど世に知られないままであった[1]。 パデレフスキがピアニストとしてデビューしたのは、わずか11歳でのことであった。ロシアの各都市を演奏旅行して回り[1]、祖国ポーランドのクラクフでリサイタルを催すなどした彼であったが[2]、後年大ピアニストとして知られるに至るキャリアの幕開けは、ウィーンでテオドール・レシェティツキに師事した後に訪れる。彼がピアノ協奏曲を作曲したのは、パリとウィーンでのデビューを果たした後の1888年であった[1][注 1]。曲は非常に短期間の間に仕上がったが、自信を持てなかった彼はサン=サーンスに助言を求めている。パデレフスキの回想によれば、多忙なサン=サーンスは当初、持ち込まれた作品へのコメントを拒否しようとした。しかし、パデレフスキが演奏する傍らで注意深く楽譜を読んだサン=サーンスは、曲の完成度の高さを称賛して不安げな作曲者を激励した。特に第2楽章には感じ入って、アンコールを求めたという[1]。 初演は当時レシェティツキの妻だったアンナ・エシポワがソリストを務め、ハンス・リヒターの指揮で行われた。ヨーロッパを代表する著名な指揮者による演奏が実現したのは、恩師レシェティツキの影響力によるものと思われる[1]。曲は瞬く間に成功を収め、自らが初演の独奏者となることを希望していたパデレフスキも、最終的にはこの結果に納得した。曲はレシェティツキに献呈されている[1]。 パデレフスキはこの曲以外のピアノ協奏曲形式の作品として、1893年にピアノと管弦楽のための「ポーランド幻想曲」Op.19を作曲している[1][2]。 演奏時間楽器編成ピアノ独奏、ピッコロ1、フルート2、オーボエまたはイングリッシュホルン2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部[4] 楽曲構成
脚注注釈 出典 参考文献
外部リンク
|