ビョーン・エイリク・オルセンビョーン・エイリク・オルセン(Björn Eirik Olsen、1955年[1] - )は、ノルウェーの水産学者、経営学者、元駐日ノルウェー大使館員。日本にノルウェーサーモンを普及させた。「サーモン寿司の発明者」とも言われる[2]。 経歴トロムソ大学水産大学部門、オスロ大学政治学部、ノルウェー経済大学戦略経営学部で学ぶ[3]。 1980年前後、ロンドン・福岡・大阪に居住[3][4]、1982年から1984年、大阪で養殖の研究に従事[3]。 1986年から1990年、ノルウェー政府の水産輸出事業「プロジェクト・ジャパン」のメンバーとして活動[3]。1991年から1994年、東京の駐日ノルウェー大使館に水産参事官として勤務[3]。日本に「サーモン寿司」を普及させる(後述)。 以降、スペアバンク1・ノード・ノルゴ・カルチャー・ビジネス・デベロップメント財団ジェネラルディレクター[1][3]、トロムソ大学教員、トロムソ国際映画祭審査員などを歴任[1]。合気道の有段者(2016年に七段)でもあり、ノルウェー合気道連盟主席師範も務めている[4]。 サーモン寿司1986年、ノルウェー政府は、水産品の対日輸出事業「プロジェクト・ジャパン」を開始した[2]。これは、当時ノルウェーで水産品の供給過剰が社会問題になっており、その解決策として水産品需要の高い日本への輸出を強化する、というプロジェクトだった[2]。オルセンは、専攻分野や日本語能力を買われてプロジェクトに呼ばれ、ノルウェー産サーモンを日本に売り込むことになった[3]。 オルセンは、日本産との競合を避けつつ、ノルウェー産独自の販路を確立するため、焼きサケ用でなく寿司用・刺し身用の生サケとして売り込むことにした[2]。当時日本では、生サケは一般的でなく、寄生虫(アニサキス)のため食べられないという固定観念もあった[2]。その中でオルセンは、ノルウェー産は寄生虫がいないのが売りだがイメージ戦略のため「寄生虫」にあまり言及しないこと[5]、日本産との差別化を図るため「サケ」でなく「サーモン」と呼ぶこと[2][3]、といったマーケティング戦略をし、商談を重ねた[2]。 最終的に、1991年にニチレイと商談成立したことや[2][3]、バブル崩壊後の低価格回転寿司ブームに乗じたことが要因となり[2]、1995年、サーモン寿司はすでに一般的になっていた[2][3]。21世紀現在では、日本だけでなく世界中で定番の寿司ネタになっている[2][5]。 2015年、オルセンは大日本水産会に「サーモン寿司30周年に際してのご挨拶」を送った[3][5]。2019年放映のテレビ番組『この差って何ですか?』などで、オルセンの功績が紹介されている[6]。 脚注
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