1973年、彼女は画期的研究成果である『Eating Disorders: Obesity, Anorexia Nervosa, and the Person Within』(邦題:『摂食障害—肥満、拒食症、その中にいる人』)を出版した[2]。本書は数十年間に亘る神経性食欲不振症(拒食症)および摂食障害の観察と治療の記録である。
1978年には、一般読者を対象として摂食障害の要旨を記した『The Golden Cage: the Enigma of Anorexia Nervosa,』(邦題:『思春期やせ症の謎—ゴールデンケージ』)を出版した[3]。
他に『 Don't Be Afraid of Your Child』(邦題:『あなたの子どもをこわがるな』)、『The Importance of Overweight』(『過体重の重要性』, 日本語訳は無し)[4]、『Learning Psychotherapy: Rationale and Ground Rules』(邦題:『心理療法を学ぶ』)がある[5]。
最後の著書となった『Conversations with Anorexics』(『やせ症との対話』)は、彼女の死後(1988年)に出版された[6]。
1934年9月、ブルッフはアメリカ合衆国・ニューヨーク市に移住し、同地にある小児病院で働いた。1937年、ジョザイア・メイシー・ジュニア財団(Josiah Macy, Jr. Foundation)の特別研究員となる資格を得たブルッフは、小児肥満についての研究を始めた。それまで器質的な下垂体の機能不全と考えられていた特異な児童肥満と性腺未発達を示すフレーリッヒ症候群について、ブルッフは家族関係と心理学的要因に関する論文を発表した。これは精神障害や生理的障害と家族の関係を指摘した初期の重要な研究の一つとなり、ブルッフによる摂食障害への本格的な研究の始まりでもあった[7]。1940年には、アメリカでの市民権を取得した。
精神分析学者として
1941年から1943年にかけて、メリーランド州ボルティモアにあるジョンズ・ホプキンス大学(The Johns Hopkins University)で精神医学を学び、精神分析についての訓練を受けた[8]。フリーダ・フロム=ライヒマン(Frieda Fromm-Reichmann)、ハリー・スタック・サリヴァン(Harry Stack Sullivan)、セオドア・リッツ(Theodore Lidz)、ローレンス・S・クビー(Lawrence S. Kubie)といった著名な精神科医に師事した。1943年にニューヨークに戻ったブルッフは、精神分析の実践を開始し、コロンビア大学で教鞭をとり、同大学の内科医および外科医と提携するようになり、同大学に併設されているニューヨーク州立精神医学研究所において20年間精神分析を教えた[8]。1954年には臨床准教授に、1959年には臨床教授に任命された。ブルッフは摂食障害に悩む子供たちの家族背景を研究するにあたり、両親を責めるのではなく、その背景について理解しようと努めた。
1964年、ブルッフはテキサス州ヒューストンにある私立の医科大学、ベイラー医科大学(Baylor College of Medicine)にて、精神医学の教授となった。ブルッフは残りの人生をヒューストンで過ごすことになる。ブルッフはニューヨークを出発する前にロールスロイスを購入したが、これについてブルッフは「キャデラックを乗り回すテキサス人に媚び諂うつもりは無い」と発言している[9]。
ヒトが空腹を覚えたときの心理学的経験について、ブルッフは『Eating Disorders: Obesity, Anorexia Nervosa, and the Person Within』にて、「先天的なものではなく、学習における重要な要素を含むもの」だという"[15]。ブルッフによれば「この学習は、『幼児と母親の間における相互作用』であり、空腹感の乱れの認識は「子供たちが本当に求めているものや、自己表現における別の形態を示唆する合図となるものに対する適切かつ確認的な反応の欠如ないし不足の結果として生ずる」という[16]。