パトリック・プルー
パトリック・プルー(Patrick Pelloux、1963年8月19日[1] - )はフランスのパリ市救急医療支援サービス(SAMU、本部:ネッケール病院)の救急医、労働組合活動家および作家である。 『シャルリー・エブド』の医療コラムを担当し(2015年9月まで[2])、2018年4月からは『月刊シネ』に執筆している[3]。また、「フランス5」の番組『医療マガジン』にも出演している。 経歴医師になる決意ヴァル=ド=マルヌ県ヴィルヌーヴ=サン=ジョルジュ出身[4]。父親は運動療法士で、叔父の一人は総合診療医であった[5][6]。中学生の頃、「国境なき医師団」の活動をテレビで見て、医師になる決意をしたという[5]。 パリの実験校(リセ)「欧州国際校」およびパリ第5大学医学部で学んだ[5]。早くから救急医療の問題に取り組み、博士論文の題目は「サンタントワーヌ病院の緊急外来患者数の激増について ― 1993年11月30日の路面凍結」[7]であり(1995年)、救急・災害医療の医師の資格を取得した(1996年)[5]。 1997年から救急医の労働組合「フランス病院救急医協会 (AMUHF)」(後に「フランス救急医協会 (AMUF)」に改名)の会長を務めた。 2003年の猛暑パトリック・プルーの名前が知られるようになったのは、フランスで高齢者を中心に14,800以上が死亡した2003年の猛暑(ヨーロッパ熱波)の際である。彼はかなり早くから(最初の50人ほどの死亡が猛暑の影響であることを指摘し[8])様々な報道番組に出演して、医療サービスにおけるこの猛暑の影響について警告し、対応の遅れを非難した。
彼はこれ以前から医療サービスの改善(特に新病棟の建設)のために病院内でも労働組合においても、さらには『シャルリー・エブド』の医療コラムにおいても様々な働きかけを行っていたが、これを機会にメディアに取り上げられ、やがてオピニオンリーダーの役割を果たすことになった。だが、彼の医療制度批判に病院側はますます神経をとがらせ、挙句は嫌がらせを受け、解雇されることになった[10]。その後、パリ市救急医療支援サービスの救急医になったのは、当時のパリ市長ベルトラン・ドラノエの取り計らいによるものだったという[10]。 シャルリー・エブド襲撃事件・パリ同時多発テロ事件2015年1月7日のシャルリー・エブド襲撃事件の際は、真っ先に駆けつけて救命に当たった。翌8日にBFM TVに出演し、「(電話を受けてから)3分後に現場に到着して救命に当たったが、頭を撃たれていて、もうどうしようもなかった。仲間を助けることができなかった」と泣き崩れ、「(犯人らは)シャルリー・エブドだけでなく民主主義を破壊しようとしたのだ … 新聞を続けなければならない。やつらを勝たせるわけにはいかないのだから」と語った[11]。 また、この10か月後のパリ同時多発テロ事件の際にも、サンタントワーヌ病院やピティエ=サルペトリエール病院の救急医療センターを中心に医療スタッフを編成・統括したのがパトリック・プルーだった。「医師や看護士らが勤務時間外にもかかわらず自発的に出勤 … 休暇中もしくは引退した医師や看護士までが続々とやってきた…c緊急医療室には、「どうしたら協力できるか」との問い合わせの電話も相次いだ」[12]。まるで「戦場の殺戮のようだ」、「実弾に撃たれた人間が次々と運ばれてくる・・・こんな光景は見たことがない・・・野戦病院のようだ」と、事件の翌々日、BFM TVで現場の様子を語った[13]。 医療・社会貢献2015年6月29日、これまでの医療・社会貢献に対してフランソワ・オランド大統領からレジオンドヌール勲章を授与された[14]。 2015年からパリ公立病院連合(公的扶助 - パリ病院)の医療施設委員会の議長を務めている[15]。 最近では、要介護高齢者施設 (EHPAD) の人的・物的資源不足の問題[16]について厚生省に請願書を提出[17]。また、救急医療サービスで緊急電話に対応せず、数時間後に患者が死亡した事件[18]でも、翌日の夜に Europe 1に出場し、救急医療体制の改善を求めた[19]。 幅広い活動2015年11月、パリ高等ジャーナリズム学院から名誉博士号を授与された[20]。 2016年5月、ブリュッセル自由大学にその功労を称えられた[21]。 2017年、『ル・パリジャン』紙の最も影響力のある人物で7位に入った[22]。 医療活動以外にも、移民支援[23]、居住の権利に関する活動[24]、不法滞在学生への支援[25]、経済問題に関する活動[26]、動物福祉運動[27]、さらには『SAINT LAURENT/サンローラン』等の複数の映画で医者役を演じるなど、非常に幅広い活動を展開している。 『シャルリー・エブド』の医療コラムの記事をまとめた『Histoire d'urgences (緊急の話)』、シャルリー・エブド襲撃事件後の自らの苦しみを綴ると同時に、医師としてテロリズムの犠牲者とどう向き合うかについて語った『L'instinct de vie (生の本能)』など著書も多い。 脚注
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