パディ・モローニ
パディ・モローニ(英語: Paddy Moloney、アイルランド語: Pádraig Ó Maoldomhnaigh、1938年8月1日 - 2021年10月12日)は、アイルランドの音楽家・作曲家・プロデューサー。またバンド、チーフタンズの創設者にしてリーダー[1]であり、チーフタンズのリリースしたすべてのアルバムに参加している。 生い立ちアイルランド・ダブリンのDonnycarneyで生を受ける。6歳の時母親からティン・ホイッスルを買ってもらい、8歳の折にはイリアン・パイプスの演奏を学び始めた。 音楽家としてのキャリアティン・ホイッスルとイリアン・パイプスに加え、モリニーはボタン・アコーディオンとバウロンの演奏を習得している。 バンドメンバーとしてキョールトリ・クーラン1950年代の末葉、ショーン・オ・リアダと知り合ったモローニは、1980年代初頭にリアダのバンドである「キョールトリ・クーラン」に加入した。 チーフタンズ1962年11月ダブリンにおいて、ショーン・ポッツやマイケル・タブリディと共にモローニは伝統的アイルランド音楽のバンド「チーフタンズ」を結成した。バンドリーダーとして、彼は第一作曲家となり、チーフタンズの曲のほとんどの編曲も担当している。また、『デビルズ・パイレーツ』、『The Grey Fox』、『ブレイブハート』、『ギャング・オブ・ニューヨーク』、スタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』など映画作品への楽曲提供も行っている。 スタジオ・ミュージシャンとしてモローニには、マイク・オールドフィールド、ザ・マペッツ、ミック・ジャガー、ゲイリー・ムーア[2]、ポール・マッカートニー、スティング、ドン・ヘンリー、スティーヴィー・ワンダーといった著名なミュージシャンのスタジオ・ミュージシャンを担当した経験がある。 プロデューサーとしてルガラ出身のガレク・デ・ブリュン(英語名はガレク・ブラウン)と共同で、クラダ・レコードを設立した。1968年にはモローニはレーベルのプロデューサーに就任して、45枚のアルバムの録音を監修している。 私生活芸術家である妻リタ・オライリーとの間に三子を儲け、その内の一人が女優/プロデューサーのエイディンである。モローニは失われつつあるアイルランド語を流暢に操ることができる。 2021年10月12日、ダブリンの病院にて83歳で急死した[3]。 ディスコグラフィ→「チーフタンズ § ディスコグラフィ」も参照
リーダー・アルバム
参加アルバム
受賞歴など2012年9月13日、モローニはオットリ賞(Ohtli Award)を受賞した。これはメキシコの文化賞として最高峰の物である[8][9]。 2018年8月4日には、スペイン文民功労勲章のエンコミエンダ章を授与された。 脚注
外部リンク
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