パティー・ビング (第2代トリントン子爵)第2代トリントン子爵パティー・ビング(英語: Pattee Byng, 2nd Viscount Torrington PC PC (Ire)、1699年5月25日洗礼 – 1747年1月23日)は、グレートブリテン王国の貴族、軍人、政治家。ホイッグ党に属し、庶民院議員(在任:1721年 – 1733年)、海軍財務長官(在任:1724年 – 1734年)、アイルランド副大蔵卿(在任:1734年 – 1746年)、国王親衛隊隊長(在任:1746年 – 1747年)を歴任した[1]。 生涯初代トリントン子爵ジョージ・ビングと妻マーガレット(Margaret、旧姓マスター(Master)、1670年2月22日 – 1756年4月1日、ジェームズ・マスターの娘)の息子として生まれ、1699年5月25日にベッドフォードシャーのサウスヒルで洗礼を受けた[1]。1713年3月から1715年8月までグランドツアーに出た[2]。 1712年[2]/1715年にコルネット(騎兵少尉)としてロイヤル・ホース・ガーズに入隊、1716年8月25日に大尉に昇進した[1]。1718年から1720年までの四国同盟戦争で父が地中海艦隊の指揮官を務めたとき、ビングは父と同行して、パッサロ岬の海戦の勝利の報せを本国に届けた[1]。また1718年3月には父の功績により600ポンドの年金を与えられた[2]。 1721年にプリマス選挙区の現職議員だった父が子爵に叙されると、ビングは同年の補欠選挙に出馬して当選した[3]。1724年4月18日には父の後任として海軍財務長官に就任した[2][4]。同年の結婚に伴い父からサウスヒルの地所を与えられた後[2]、1727年イギリス総選挙でホイッグ党候補としてベッドフォードシャー選挙区から出馬、第3代サンドウィッチ伯爵エドワード・モンタギューがトーリー党候補2人を推薦して選挙戦となったが、ビングは1,343票でトップ当選した[5]。 1732年5月4日、グレートブリテン枢密院の枢密顧問官に任命された[1][6]。1733年1月17日に父が死去すると、トリントン子爵位を継承した[1]。 1734年春[7]に海軍財務長官を辞してアイルランド副大蔵卿に転じ、同年7月19日にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[2]。1746年に国王親衛隊隊長に転じた[2]。 1747年1月23日に死去、31日にサウスヒルで埋葬された[1]。息子2人に先立たれたため、弟ジョージが爵位を継承した[1]。 家族1724年6月11日、シャーロット・モンタギュー(1759年9月14日没、初代マンチェスター公爵チャールズ・モンタギューの四女)と結婚[1]、2男をもうけた。 出典
外部リンク
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