バハラ城塞
バハラ城塞(アラビア語: قلعة بهلاء; Qal'at Bahla')は、アフダル山の麓に位置する四つの歴史的城塞の一つである。建造されたのは13世紀から14世紀にかけてのことで、当時のバハラはBanu Nebhanの一族のもとでオアシス都市としての繁栄を享受していた。バハラの街には、オアシス、市場(スーク、Suq)、ヤシの木立などがあり、都市自体が約 12 km の城壁に囲まれている。この町は陶磁器でも知られている。 バハラ城塞は、近隣のイズキ(Izki)、ニズワ(Nizwa)、少し北に離れたルスタク(Rustaq)の各城塞とともに、ハワーリジュ派の中心拠点となっていた。 城塞の砂岩の土台からは、日干しレンガの壊れた壁と高さ約50 mの塔が載っている。隣接する南西方向には、14世紀の彫刻に飾られたミフラーブを持つ金曜礼拝のモスク(the Friday Mosque)が建っている。 世界遺産この城塞は1987年以前には修復も保存もなされておらず、毎年雨季になると壁が崩落するという、不安定な状態に置かれていた。1987年にこの城塞はユネスコの世界遺産に登録され、翌年には危機遺産のリストに加えられた。1990年代には修復作業が始まり、オマーン政府は1993年から1999年の間に6万ポンド以上を費やした。その間、足場が組まれ観光客には非公開とされた。その結果、2004年には危機遺産リストから除外された。 登録基準この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
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