バジル・フィールディング (第6代デンビー伯爵)第6代デンビー伯爵および第5代デズモンド伯爵バジル・フィールディング(英語: Basil Feilding, 6th Earl of Denbigh and 5th Earl of Desmond PC、1719年1月3日 – 1800年7月14日)は、イギリスの貴族。1755年までフィールディング子爵の儀礼称号を使用した[1]。 生涯第5代デンビー伯爵および第4代デズモンド伯爵ウィリアム・フィールディングとイサベラ・デ・ヨンゲ(Isabella de Jonge、1769年5月16日没、ペーテル・デ・ヨンゲの娘)の息子として、1719年1月3日に生まれた[1]。 1745年ジャコバイト蜂起では第4代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルの部下として、9月27日に招集された歩兵連隊に入隊した[1]。 1755年8月2日に父が死去すると、デンビー伯爵とデズモンド伯爵の爵位を継承した[1]。その後、1760年2月9日にジョージ2世によって枢密顧問官に任命され、1761年3月17日にジョージ3世によって再任された[1]。また、1761年9月22日のジョージ3世戴冠式にも参加、1761年から1782年までハリアー犬管理長官を、1763年から1800年まで寝室侍従を務めた[1]。貴族院ではトーリー党の一員として、1783年12月にチャールズ・ジェームズ・フォックスのインド法案に反対票を投じた[1]。 1800年7月14日に死去、長男に先立たれたため孫ウィリアムが爵位を継承した[1]。 人物ホレス・ウォルポールは1773年に第6代デンビー伯爵を「宮廷の手先の間では最低で、最も差し出がましい」(the lowest and most officious of the Court tools)と酷評している[1]。 家族1757年4月12日、メアリー・コットン(Mary Cotton、1782年10月14日没、第6代準男爵ジョン・コットンの娘)と結婚した[1]。
1783年7月21日、サラ・ファーナム(Sarah Farnham、1741年10月25日 – 1814年10月2日、エドワード・ファーナムの末娘)と再婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった。 出典
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