バザス
バザス (フランス語:Bazas、ガスコン語:VasatesまたはBazats)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ジロンド県のコミューン。 由来バザスという名称はラテン語のcivitas basatica(バサテス人の都市)から派生した。古名Cossiumは、アキテーヌ語のkoiz、ガスコン語のCoçのラテン語化による。 地理バザスは県南東部にある。ランドの森の入り口のあっさりした起伏の上にある。ボルドーの南東約59km、郡庁所在地ランゴンの南約16kmにある[2]。 歴史鉄器時代初期より、南西部の軍事拠点となってきた。城壁と記念碑的な門は、初期の軍事的役割と一定の支配権を持っていた。 フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の司教都市としてバザスは、18世紀終わりまで司教区を持っていた。アンシャン・レジーム期の裁判所プレシディアル(fr)が本拠を置き、行政と司法の力を組み合わせて、最も強力な都市として必要とされていた。その名声のため、リチャード1世やシャルル5世が訪問している。 百年戦争中にイングランドとフランスの係争地となり、1441年にフランスに併合された。1561年はバザス史上最も暗い日であった。ユグノーが都市に入場し、教会を荒らしたのである。高名な司教のアルノー・ド・ポンタックは、全体の破壊から三重扉を救い、復元した。 1562年、ユグノー戦争中、ユグノーの一団が町を奪った。ルイ14世は、サン=ジャン=ド=リュズで挙げたマリー・テレーズ・ドートリッシュとの結婚式からの帰路、バザスに立ち寄った[3]。 バザスはこの偉大な時代を保存し続けてきた。ゴシック様式のサン=ジャン=バティスト教会は、町の最も重要な記念碑である。 1790年から1795年まで郡庁所在地であった。 経済バザデーズ・ボビン・レースと呼ばれるレース製造、金属加工業、林業が盛んである。また、肉牛のバザス牛(fr)はラベル・ルージュ(fr:label rouge)を2008年に取得している。 交通
鉄道駅がバザスにないため、最寄はランゴンのTERアキテーヌ・ランゴン駅となる。 姉妹都市脚注
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