バカン伯爵
バカン伯爵(英語: Earl of Buchan)は、スコットランド貴族の伯爵位。現在のバカン伯爵位は1469年にジェイムズ・ステュアートが叙位されたのに始まり、女系継承や爵位継承方法の変更などを経て、ダグラス家、アースキン家へと移った。2019年現在の当主は第17代バカン伯爵マルコム・アースキンである。 歴史かつてのバカン伯爵とモーマースコットランド・バカンのモーマー(支配者)としてガートナイトがブック・オブ・ディーンのゲール語のノートで後援者として記述される。ファーガスの死後、バカンのモーマー領は婚姻関係によりバカン外の一族であるカミン家のものとなった。 カミン家の2代目のバカン伯であるアレグザンダー・カミン (-1289) はガロウェイ地方に所領を拡大し、スコットランド守護官に就任した[1]。その息子でカミン家3代目のバカン伯のジョン・カミン (-1308) は、イングランド王エドワード1世に臣従し、1297年には愛国者ウィリアム・ウォレスの蜂起の鎮圧にあたり、1305年にエドワード1世をスコットランド王として認めた。1306年に従兄弟にあたるバデノッホ卿ジョン・カミンが犬猿の仲だったブルース家のロバート(後のスコットランド王ロバート1世)に殺害されると復讐を誓い、翌年にスコットランド王即位を宣言してイングランドに反旗を翻したロバート1世と戦ったが、敗北して土地を没収された[1]。 ついでスコットランド王ロバート2世の四男でバデノッホの狼 (the Wolf of Badenoch) の異名をとるアレグザンダー・ステュアート (-1405) がバカン伯に叙位された[1]。その後、その兄オールバニ公ロバート・ステュアート (1340頃-1420) と、その息子ジョン・ステュアート (1381頃-1424) がバカン伯となった。オールバニ公ロバート・ステュアートは兄ロバート3世とイングランドに捕らえられていた甥ジェームズ1世の在位中に摂政を務めて国政を主導した。ジョン・ステュアートは1421年に1万2000人のスコットランド軍を率いてフランス軍の援軍にかけつけ、フランス軍司令官として、劣勢だったフランス軍を立て直し、情勢を逆転させる転機を作った[2]。しかし1424年にヴェルヌイユの戦いで戦死した。また1425年には帰国したジェームズ1世によってオールバニ公爵家の粛清が行われた[3]。 現存するバカン伯爵位現存するバカン伯爵位はジェイムズ・ステュワート (1442–1487) が1469年にスコットランド貴族爵位バカン伯爵とオーチターハウス卿 (Lord Auchterhouse) に叙位されたのに始まる[4]。彼はアレクサンダー・ステュアート(ロバート2世の曾祖父)の次男ボンキルのジョン・ステュアートの子孫でローンの黒騎士 (the Black Knight of Lorn) の異名を取っていたジェームズ・ステュアートとスコットランド王ジェームズ1世の未亡人ジョウン・ボーフォートの間の次男であり、初代アソル伯爵ジョン・ステュアートの弟にあたる。初代バカン伯は1471年から1473年、1478年から1484年にかけてスコットランド宮内長官を務めた[4]。 3代伯ジョン・ステュアート (1497頃–1551) まで男系男子で継承されたが、3代伯が死去した後、3代伯の先だった長男の唯一の娘だったクリスティーナ・ステュアート (-1580) が4代女伯爵を継承した。彼女は第6代モートン伯爵ウィリアム・ダグラスの弟にあたるロバート・ダグラスと結婚し(妻の権利によりロバート・ダグラスも4代バカン伯となる)、その間の息子ジェイムズ・ダグラス (-1601) が5代伯を継承したが、彼には娘メアリー・ダグラス (-1628) しかなかったので、その死後はメアリーが6代バカン女伯を継承した。彼女は第19代マー伯ジョン・アースキンの息子で第20代マー伯ジョン・アースキンの弟にあたるジェームズ・アースキン (-1640) (妻の権利で6代バカン伯)と結婚した。その間の子ジェイムズ・アースキン (-1664) が7代バカン伯を継承した[4]。 しかしその息子である8代伯ウィリアム・アースキン (-1695) が未婚のまま死去した後、スコットランド議会は妻の権利で第6代バカン伯だったジェームズ・アースキンの弟の孫にあたる第4代カードロス卿デイヴィッド・アースキンが9代バカン伯を継承したことを認めた。8代伯の姉マーガレットの息子が異議を唱えたが、スコットランド議会は1698年にデイヴィッドの爵位継承を承認した[5]。これ以降、2019年現在まで9代バカン伯の男系男子によりバカン伯位は継承されている。彼以降は初代バカン伯から系図を辿ることができなくなった。スコットランド貴族爵位は1707年まで爵位継承方法が勅許状などによりしばしば変更された。バカン伯位もその一つだった。 9代伯の死後はその息子のヘンリー・アースキン (1710–1767) が10代伯を継承[4]。彼の死後はその息子デイヴィッド・アースキン (1742–1829) が11代伯を継承。11代伯は、スコットランド考古協会の設立者であり、ほかにも様々な文化事業の後援者であった。1792年にはアメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンにウィリアム・ウォレスの身を守ったと伝えられる木製の嗅ぎたばこ入れ(スナッフ・ボックス)を贈っている[1]。 11代伯の死後は甥にあたるヘンリー・アースキン (1783–1857) が12代伯爵を継承。1850年に12代伯の妻キャロラインと、息子の13代伯デイヴィッド・ステュアート・アースキン (1815–1898) はローマ・カトリックに改宗している[6]。 13代伯の死後は息子のシプリー・アースキン (1850–1934) が14代伯を継承し、ついでその息子のロナルド・アースキン (1878–1960) が15代伯を継承した[4]。15代伯の死後、10代伯に遡っての分流である第7代アースキン男爵ドナルド・アースキン (1899–1984) が16代伯位を継承した。彼は10代伯の三男の初代アースキン男爵トマス・アースキンの来孫にあたる[7]。16代伯の死後、その息子のマルコム・アースキン (1930-) が17代伯爵を継承した。彼が現在のバカン伯である[4]。 バカン伯爵家の邸はハンプシャー・ニューナムにあるニューナム・ハウス (Newnham House)[4]。 現当主の保有爵位現当主マルコム・アースキンは以下の爵位を保有している[4]。
一覧初期のバカン伯/モーマー
バカン伯 第2期 (1374年)
バカン伯 第3期 (1469年)
系図バカン伯爵(3期)系図
出典
参考文献
関連項目 |