ハリー・ポーレット (第4代ボルトン公爵)
第4代ボルトン公爵ハリー・ポーレット(英語: Harry Powlett, 4th Duke of Bolton PC、1691年7月24日 – 1759年10月9日)は、グレートブリテン王国の貴族、ホイッグ党所属の政治家。1715年から1754年まで庶民院議員を務めた後、貴族院に移籍した。また、1754年までハリー・ポーレット卿の儀礼称号を使用した。 生涯初期の経歴1691年7月24日、第2代ボルトン公爵チャールズ・ポーレットとフランシス・ラムスデン(Frances Ramsden)の次男として生まれた[1]。最初はイギリス海軍の軍人になり[2]、スペイン継承戦争中の1710年にポルトガル王国で初代ゴールウェイ伯爵ヘンリー・デ・マシューのエー=ド=カンを務めた[2]。 政歴1715年イギリス総選挙でセント・アイヴス選挙区から出馬して庶民院議員に当選[3]、1722年イギリス総選挙でハンプシャー選挙区に鞍替えした[4]。1734年イギリス総選挙ではハンプシャー選挙区のほかにもヤーマス選挙区で当選したが、ハンプシャー選挙区では異議申立てがあったため、1737年にポーレットの当選が確定するまでヤーマス選挙区の議員として登院、以降はハンプシャー選挙区の議員として登院した[5]。 ウォルポール内閣では1733年6月に海軍本部委員会に入り[6]、1738年3月には上級海軍卿に昇進したが[7]、1742年3月にウォルポール内閣が倒れると自身も辞任を余儀なくされた[6]。以降は1742年から1754年までロンドン塔総督を、1754年から1755年までグラモーガン統監を、1754年から1758年までハンプシャー統監を務め、1755年1月9日に枢密顧問官に任命された[2]。 1754年に兄チャールズの死去に伴いボルトン公爵の爵位を継承した[1]。1759年10月9日に死去、長男チャールズが爵位を継承した[2]。 家族ポーレットはキャサリン・パリー(Catherine Parry、1744年4月25日没、フランシス・パリーの娘)と結婚、2男2女をもうけた[2]。
ボルトン公爵の財産にはハンプシャーのハックウッド・パーク、ノースヨークシャーのボルトン・ホール、ウィルトシャーのエディントン、ドーセットのフック・コートなどがある[8]。 脚注
参考文献
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