ノート:花言葉起源は15世紀?17世紀?初版執筆者の赤鉛筆です。歴史の項で花言葉の起源が15世紀から17世紀に修正が入りました。 客観的な記述をお願いします2012年9月までの版の「具体例を書くべきでない理由」節は、私自身しか投稿者がいなかったので、削除しました。以下は、削除したものの書き直しです。 (加筆) コメント依頼に関しては、下の経緯を先にご覧になると分かりやすいかも知れません。--Ahora(会話/履歴) 2012年12月2日 (日) 11:04 (UTC) 「バラの花言葉は愛である」のような例を、安易に記載しないで下さい。求められるのは、客観的な記述です。まず明らかなルールとして、信頼できる情報源による出典を示さなければいけません。出典が無ければ、削除の対象です。そうでなければ、全く根拠の無い説を落書きされても、分からないからです。出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。 以前の版で、マイペディア や大辞林 が出典として付された事がありますが、これは不適切でしたので、削除しました。「信頼できる情報源」とは何でしょうか。 花言葉というのは、生物の種に対して備わっているものではなく、あくまで人間が割り振ったものです。よって「○○の花言葉は××」という記述は、ウィキペディアではアウトですし、そう書いてあるものは出典として不適切です。たとえば以前に「フクジュソウは日本では「しあわせを招く」」とありましたが、それはどういう意味でしょうか? 日本では、フクジュソウを見ると、それは「しあわせを招く」ものであると、一般に人々が了解しているのでしょうか? それは、咲いていなくても、生えているだけでもそうなのでしょうか? 自生に対してなのか、植えてもそうなのか、贈答用やフラワーアレンジメントなどでそうなのか、どうなのでしょうか? ウィキペディアに求められるのは、事実を客観的に書くことです。 どこの地域の、いつの時代の事なのかという事も明記が求められます。 日本大百科全書を引用して、ヤマザクラの花言葉の記述がありましたが、分類学によりヤマザクラという種の認識が確立された後なのでしょうか? 更に、分類学との関わりの疑問もあります。エドヒガンやマメザクラはまた別の花言葉を持つのでしょうか。サクラの種について御存知ない方も多いと思いますので、日本人が一般に、「ヤマザクラの花言葉が○○である」と了解しているとは、とても信じられません。ヤマザクラの例はやけに細かかったですが、他の引用された例を見ると、「ユリ」や「ツツジ」など、かなり大雑把であり、こちらの方が、まだ信憑性があります。 「ユリ」が「あなたは私をだませない」で「白ユリ」が「純潔」とありました。白ユリはユリに含まれるのでしょうか。投稿者には、引用資料の検討が求められます。日本大百科全書に依って、ゲッケイジュが黄色の花が咲くと「不信」「裏切り」の意味を持つ、とされていたのも意味不明です。ゲッケイジュは黄色でなければ、何色の花が咲くというのでしょうか。毎年花の色が違うとでも? おそらく引用資料の筆者は信頼できる二次資料には当たっていないのではないかと推測されます。これでは、信頼できる情報源とは言い難いように思います。 花言葉は、それを記す著者の創作、要は(12月29日の魚座の運勢は○○のような)占いみたいなものである事も多いと思われますが、それは勿論ウィキペディアに載せるようなものではありません。たとえば「花言葉 [花図鑑]」夏梅陸夫、2001年、p4では、「[いくつかの]花に関しては、新しく花言葉をつくりあげました。」とあります。ただし、どの植物についてかは不明です。(創作についての断りがあるだけでも、珍しく良心的と思われます。) 創作では無い資料を出典として下さい。 きちんとした二次資料や、二次資料を適切に引用する三次資料は、日本語でも存在すると思います。是非、質の高い投稿をお願いします。--Ahora(会話/履歴) 2012年11月28日 (水) 08:42 (UTC)
お望み通り、{{cleanup}}を貼っておきました。晒し者みたいですし、削除する方が普通の編集であり、かつ述べるように責任ある態度と思うのですが。 先の私の編集には合理的な理由があります。私の11/28の編集の直前の版(以下、a版)では、「花言葉の例」の節は先に書いた通り、逐一{{いつ}}、{{どこ}}、{{誰2}}、{{要説明}}、{{疑問点}}を貼られる程度の記述です。中立性、客観性というのはウィキペディアの方針の中でも基本的なものです。しかしそれを実行すると見づらいので、それよりは節に{{cleanup}}を貼る方がマシです。しかし、それは問題がある箇所と無い箇所が混ざっているならばともかく、結局節全体が、そのような問題を抱えているのですから、除去されて特におかしいとは思いません。そもそもa版は - もしも、あなたが書いたものでしたら、お気を悪くなさらないで下さい - 大した情報は無く、ウェブ検索で数分で書けるような代物でした。仮に、わずかな情報であっても(そして、その分野での知見に基づく投稿の可能性があって)文脈を補強するならば、ただちに削除するよりもそれらのテンプレートを貼って残す価値はあります。しかし、今回はそういうものでもありません。(ところで、{{信頼性要検証}}は、一次資料が引用されている時に差し替えを依頼するものであり、今回の件に使うのは不正確です。) このような合理的な理由 (先のコメントから読みとれると思うのですが...) について、あなたは、前回全く触れませんでしたので、私の行為が不適切だという批判は有効ではないように思います。 情報源の信頼性については、本件の本筋ではありませんが、反論をしなかったと思われるのも面倒なので、書いておきます。WP:RS(信頼できる情報源)においては、聖典など無く、むしろ信頼性が高いと一般にみなされるものでさえ、扱いに注意をするように、繰り返し呼びかけています。a版での引用資料は、掲示板やウィキなど、そもそも引用すべきではないようなものとは、明らかに異なります。しかしながら、a版資料は査読を経た専門の研究などではありませんし、それに基づいた記述の削除は論外、などという論法は、全く受けいれられません。何か、削除されると困る個人的な理由でもあるのでしょうか。 より詳しくWP:RSを見てみましょう。「その時々の状況によって、正しい出典の用い方はいつも同じではありません。その作業には常識的感覚と編集上の判断が不可欠です。」とあります。結局、a版から除去された箇所は、上に書いたような疑問点(いつ、どこで、どのように)に答えられるようなものではありません。何か書きたければ、それなりの資料を持ってくる、そして事実と意見を区別して書く、それだけの事です。出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。上に、追記をしておきましたが、そこで触れたような内容の投稿でしたら、全く問題はありません。ぜひ、どうぞ。 さて、あなたは、「日本の一流の出版社から出ている」とおっしゃいますが、それは関係ありません。(権威主義ですか?) だから削除してはいけない、など、それこそ個人的な考えです。「執筆者もその分野の専門家であり」との事ですが、a版引用箇所に、署名がありますか? 日本大百科全書以外はありません。WP:RSには、「[ブリタニカなどに関して]著者の記名がないものは...専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできません」とあります。あなたのように、これらは偉大なソースで疑ってはいけない、という態度は不適切です。(そもそも、辞書がウィキペディアで引用する価値はほとんど無いと思いますが。) WP:RS#信頼性の評価には、こうもあります。「評判がよいことと信頼できることはかなりの部分で重なるものではありますが、一方をもって他方の代わりとなるものではありません。」「情報源は、専門分野外よりも専門分野内の方がより信頼できます。」a版の引用は、花言葉の専門家が執筆している訳では、おそらくないでしょう? 証拠がありますか?「信頼性はある程度代替可能であり査読された公表物でも誤りがあるので、品質に大きなバラツキがあったりPOVやほかの情報源がある専門の公表物は、詳細な判定に基づいて評価する必要があります。」(三次資料はそもそも専門の文献ですら無いですが)POVについては、前回指摘した通りですが、あなたは答えていません。 記事の中で「これらの文献は信頼できない」と書いたら、それは独自調査であり、ウィキペディアでは認められません。しかし、私は別にそんな事は書いていません。日本大百科全書の当該項目の執筆者の倉石忠彦氏は、日本の民俗が御専門のようですので、それなりに信頼できる情報源とみなせましょうし(ただし、今回はあくまで三次資料ですが)、また前回の私の「推測」はやや勇み足だったようです。それでも私が先に書いた通り、あの項目は客観性が十分とは言えず、資料をどう扱うべきかに関して、ここまで述べた事は否定できないと思います。特に反論が無ければ、いずれ当該節は削除致します。--Ahora(会話/履歴) 2012年12月2日 (日) 01:40 (UTC)
1. 上で指摘されている客観性の不備は、この記事の執筆スタイルの問題というよりも「花言葉」という慣行そのものの問題ではないでしょうか。人によって・地域によって揺れが大きく、統一された大系があるわけでもないので、そもそも「客観性」は持たせにくいのだと思います。 2. ですから「花言葉」に関して本当に厳密な客観性を要求すると、何も書けなくなります。ただ、現に世界中で広く行われている慣行であることは確かなので、項目を立てる理由は十分にあると私は思います。ですから、その二つの要求に同時に応える方法が必要なわけですね。 3. 花言葉の例を挙げる場合に「ある執筆者がある文献において言っている」という典拠を示すのは、その一つの方法です。 現在の「花言葉の例」という節に関しては、出典が不十分だとか客観性を欠いているとは言えないと思います。挙げられている文献の大半は、説明のさいの典拠として広く用いられているものです。こうした例を示さなければ「花言葉」の記事としては不十分になることは明らかなので、具体例を列挙されたのは正しいと思います。 もちろん、これはあくまで一つの例にすぎず、他にもさまざまな花言葉が主張されている、ときちんと明記することは必要です。その明記の程度は十分ではないと私も思いました。しかし、例を挙げてはならないし削除すべきだということにはなりません。 4. 全体として、確定した花言葉のリストがあるかないか、あるとしたら典拠は何か…を説明するのではなく、花をめぐって特定のメッセージがやりとりされてきたし現在もされている、その文化・慣行について説明する記事として執筆されれば、Wikipedia の記事としては十分ではないでしょうか。 5. 逆に、上では指摘されていないようですが、「歴史」の節に詳細な記述があるわりに、出典が示されていないことのほうが私は気になりました。冒頭の「ヴィクトリア朝時代に流行し定着」という記述にもソースが知りたいところです。 6. 花言葉についての文献は、多くはありませんが、次のような本はご参考になるでしょうか:春山行夫『花ことば : 花の象徴とフォークロア』(平凡社ライブラリー、1996)ISBN 4582761542 --Bootyears(会話) 2012年12月2日 (日) 04:43 (UTC)
新しい典拠、ご提案二点
1. ご返答を拝見すると、「花言葉の例」を挙げること自体には、これまでどこからも反対は出ていないわけですね。そうであれば現在の議論参加者が、まずは「花言葉の例」の節について、十分な出典かどうかという一点について合意すればよいわけです。現在の出典の使いかたに異論が出ている以上、使い方を変えるか、別の出典を出さないと合意にたどりつくことはできません。 2. そこで別の出典はないか…と探してみると、「歴史」の節に脚注として挙がっている以下の本が Google Books にフルテキストで載っていました。 Charlotte de la Tour: Le langage des fleurs (1858). ためしに読んでみると、確かに草花とそれにまつわるイメージをるる説明していて、例えば次のような形で花言葉が例示されていました。
3. また英語版の情報を見てみると、別のソースが使われていました(お二方は、英語版を読んでごらんになりましたか? やはり要出典の適否が議論されているばかりか、なぜか「ハナコトバ」という英語の項目まであったりして面白いですよ)。 英語版でリンクが張られている古い文献に、イギリスのケイト・グリーナウェイという著者の『花言葉 (Language of Flowers) 』という本がありました。刊行年はまさにビクトリア朝時代です。 こちらの本は、ニューヨーク公立図書館、そしてプロジェクト・グーテンベルクの二つにフルテキストが掲載されていました(便利ですね!)。 Kate Greenaway: Language of flowers (1884) この文献には、上のLa Tour の本の内容が、ほぼそのまま踏襲されてるんですよね。そしてその内容は、以下のとおり、現在のわれわれの記事にある「花言葉の例」と同じ内容です(今回はじめて知りましたが、これはなかなか面白い事態だと個人的には思いました)。
著者のケイト・グリーナウェイは、ヴィクトリア朝のイギリスで活躍したイラストレーター兼エッセイストのような人です。イギリスの人名辞典 Oxford Dictionary of National Biography (ODNB) によると(これ以上ないくらい信用のおける典拠です)、この時代の最も人気のあるイラストレーターで、著書はどれも広く読まれたとのこと。 4. ここまでを踏まえて、私のご提案というのは、まず第一に、「花言葉には様々な種類があって、以下に例示するのはその一つの例である」と節の冒頭ではっきり明記したうえで、この二つの本を一つの典拠として用いること。 ここに挙がっている花言葉が現在でも実際に流通しているか、流通しているとすればどの程度か、また上の二つの本の著者たちが何を根拠にこういう花言葉を並べているのか、は取りあえず関係ありません。現にこういう本が出版されて流通したと分かっていれば、「欧米における花言葉のひとつの例」として挙げるには十分な典拠だと思います。 5. そのうえで日本語の辞書・辞典、また花言葉辞典の類に、明確な形で「▼▼の花言葉は●●」と述べられていれば、それを補強材料ないし現代日本での例として使う。これが提案の第一です。 6. ご提案の第二は、現在の「歴史」の節について、参照された文献を出典として加えていただくことです。
--Bootyears(会話) 2012年12月2日 (日) 16:51 (UTC)
--Bootyears(会話) 2012年12月4日 (火) 11:05 (UTC)
Bootyearsさん、ありがとうございます、Greenawayの方は...って、もう資料が増えていました。^^;)v 精力的にありがとうございます。 この段落はコメント依頼者様に関して。私の合理性についての質問には、3度にわたって回答すらなさらなかったので、私の意見を認めたと理解します。また、私は12/2に歴史的な作品を引用するのは可、と具体的な方法まで書いたのですが、その時は返事をなさらず、コメントを依頼されました。ところがBootyearsさんからの御提案には、旗色が悪くなったとご覧になったのか、建設的なご提案ありがとうございます、ですか。わたくしにはつれなくていらっしゃるのですね。Ahora、せつなくってよ。(加筆のヒントを出したのみならず、英語版でGreenawayの著作へのリンクが、ゴミ外部リンクの中に混じっていたのを、お示しの編集にて私が随分と目立つようにしたのですけどね。) さて、本題に戻ります。まず御紹介のリンク及び追加分ですが、Bootyearsさんが英語版とフランス語版の外部リンク節に追加なさる事をお勧め致します。あるいは面倒ならば私が行いますが、その場合は、要約欄に、"Thanks for suggestion by [[ja:User:Bootyears]] at [[ja:Talk:花言葉]]"などと明記致します。(要約欄でもリンクは有効です。)ウィキの文法などで不十分な点があっても、私なり、誰かが修正致しますので、お気軽にご投稿下さい。もちろん日本語版の加筆の後でも良いです。 さて、まず信頼できそうな二次資料があって、しかもBootyearsさんが執筆して下さるのでしたら、それが一番です。歴史のみならず、オリーブが平和などの例も、客観的な形で示す事ができると思います。そもそもウィキペディアでは、そういった記述において一次資料はあまり重視すべきではない (WP:SOURCE、WP:OR) とされていますので、Greenawayなどを直に出典とするよりは遙かに良いです。(春山氏著書も、適切な出典となるでしょう。)おまけに、de Latourはかなり複線的というか、エッセイ付きの本文で紹介されている花言葉で巻末のまとめに無いものが(うろ覚え、未確認)確かありましたし、バラに関してはブーケの種類なんかの別もあったりと、何を記述対象として選ぶかについては悩む事になりそうです。(楽しい悩み、ならば大いに結構ですが、私にはちょっと荷が重いです。) この点については、我々の事も、スケジュールなどもお気になさらずに、Bootyearsさんのお気の向くままになさって下さい。極端な話、やっぱりやめた、というのも全く問題ありません。 一方で、de LatourやGreenawayの構成(挿画、エッセイ、逆引き辞書...)を紹介する、という事はできます。単純な事実ですからね。また読者にも大変面白いでしょう。ただし、複数の著作の内容を比較する(Greenaawyはde Latourに良く似ている故にコピーの可能性、などの指摘)となると、やや独自研究(WP:OR)っぽくなりますので、完全に可能では無いですが慎重さが求められます。 ここで、もしもWikipedia:独自研究は載せないはまだお読みでなければ、せっかくのご執筆が無駄になってしまうともったいないので、一度目をお通し下さいますでしょうか。ウィキペディアの方針の中でも重要なものですが、常識からすると「何でこんな当然の事を書いていけないの?」と意外な部分もあります。(慣れると納得します。ウィキで百科事典を作る事の限界を認めた合理的な指針です。) Wikipedia:検証可能性なんかはまあ自明なので、必要な時だけ参照すれば十分です。 あと注意を申し上げます。Bootyearsさんは海外の、しかも歴史的な文献を読む難しさは私などよりもお詳しいと思いますが、植物の名前はやっかいです。たとえばPerfidyを当てられているAlmond, laurel。これを「月桂樹?」と、(疑問符付きで)書かれましたが、これはおそらくen:Prunus laurocerasusだと思います。これはAlmondでもLaurelでもありません。同じ種であるfr:Laurier-ceriseにはLaurier-amandeとも呼ばれる、とありますからね。(一方でLatourにはLaurier-Amandier: Perfidie (p298、google booksからダウンロードしたpdf版ではp357、エッセイ付きの本文のどこかにも記載ありました)とあります。おっしゃる通り、多分Greenawayの本は直接間接にde Latourをパクったのでしょう。その際、何だか良く分からなくて、あるいはイギリスには当時は無い木だと分かってAlmond, laurelと書いた可能性もあります。当時は、調べるのも大変だったでしょう。資料へのアクセスは相当に厳しかったはずですし、次段に書くような事情もありますので。我々どころか、当時の読者も知らない植物の方が多かったかも知れません。) でも、ちょっと(数十秒)検索した限りでは、Almond, laurelもLaurier-Amandierもそのものズバリの呼称は見つかりませんでした。なお調べたのではなく印象に過ぎませんが、この木は日本で言えばバクチノキに近いものかと思います。 そもそも生物学、というか分類学では、(単純化すれば)学名はそれなりに体系化されていますが、このような、えー、普通名詞は、一般人の認識によるものですので、名前がきちんとしている訳もありません。更にヨーロッパは昔からグローバル化に晒されていますし、英語はアメリカ大陸の影響もありますから、それこそ「どこ」「いつ」の資料を読んでいるのか、に注意が必要です。(たとえば私はcornの正確な意味を習った記憶が無く、辞書で学んだと思います) 日本でも、たとえば「女郎蜘蛛」という語がありますが、これが今日のジョロウグモを指すのか、コガネグモかという論争がかつてありました。で、片方に名前(和名)が割当てられてしまいましたが、昔の人が両義に用いていた可能性とかは、十分に詮索されていないのではと思います。なお、普通の語学辞書は、鵜呑みにせず、簡単にでもウェブで調べて下さい。(推測で良いなら、ごたくを書けますよ。Greenaway p36で、Rose, China が "Beauty always new"とされているのは、中国由来のバラであるコウシンバラが一年に何回も咲くからだと思います。これが西洋のバラに交配されて、四季咲き性を持つ「モダンローズ」第一号のラ・フランス (バラ)が19世紀後半に作られました。) まあ、オリーブ(olivierは、この記事では「オリーブ」の方が自然でしょう。)とかバラくらいは、大丈夫でしょうね。 歴史方面に関しては、このくらいでしょうか。一方で、現代日本の習俗は、また全然違う話です。まず、花言葉辞典とかは、沢山出版されていますが、全く信用できません。見付けたこのブログでは、ペチュニアの花言葉とサフィニアの花言葉を分けています。でもサフィニアというのはサントリーが開発したペチュニアの一種で、このサントリーのページで花言葉を募集、「決定」したりなどしています。(この点については、記事に加筆しました。) こういったものが丸飲みの可能性が多分にあって、結局は日本のいわゆる「占い」文化ですよね。あなたの今日のラッキーアイテムはなんとか、みたいな。(花言葉辞典とブログは別物ではと思われるかも知れませんが、そういったものを求める方々の為に書かれている訳ですからね。無批判に情報を収集した花言葉のウェブサイトも、日英仏、幾つも見つかります。) 記事でも言及した夏梅氏著書には「少し創作した」とありますが、そう断わってあるだけで珍しく良心的で、普通は孫引き、創作が入り乱れているものと思われます。だから、現代の日本の花言葉の例はほとんど意味がありません。「この本にはこう書いてある」と客観的に事実を書くことはできますが、それ一冊を取り上げても、あまり意味があるとは思えません。(もし書くならば広告的になるのを避けるため、少し古めの本が良いかも知れません。) 一方で、今日の編集で商品のイメージ戦略的に使われている花言葉への言及を、脚注と出典を分ける形で、少し際立たせました。脚注とは言え、それなりに読めるものですので、紙の百科事典には書けない、これこそ同時代の例の活写になっていると思います。客観的に書くという点も考えると、日本の例は当座はこれで十分では無いでしょうか? もちろん、良い出版資料があれば、また違った角度ですから、大いに結構です。 今深入りする必要はありませんが、全く別の面から加筆する事ができる事も指摘しておきます。占い文化としての社会学的な考察というか、日本における花言葉の受容史みたいなものがあれば、そっちの方が怪しげな例よりも、百科事典としてはるかに意味があると思いますし、個人的にも興味があります。(読者として。執筆する気は今のところありません。思い付きに過ぎませんが、西洋の花言葉という文化の紹介が、日本のいわゆる占いの源流の一つなのかも知れません。ただ今日では、占いにおける位置付けとしては花言葉は全くの傍流でしょう。) ただ社会学的な論考は質の差が激しそうですけどね。なお私はそういった論文を読んだ事はほとんど無く、上手に探す自信もないです。 あと、細かい事ですが、日本語版記事における外国語の歴史的資料へのリンクは、記事で触れたものについては加えるべきですが、それ以外については、私は否定的です。というのは、私自身は、英語が読めるならば英語版を読むだろうから、日本語版には必要無いという思想で、他の記事でそういうリンクを削る事もあります。参考文献も、本文で参照されているもの以外はなるべく削った方が、たとえば英語の資料ならば、英語版の方が(所詮、理想的には、ですが)良くメンテされるだろうと期待します。方針としては、WP:SOURCESやWP:EL#日本語以外の言語で記述されたサイトへのリンクに記述があります。しかし、私の考えは単純過ぎるかも知れません。少なくともダメと断定する理由は全く無く、Bootyearsさんの御判断を尊重致します。 今日のところは、方針に関してはこのくらいです。--Ahora(会話/履歴) 2012年12月5日 (水) 00:32 (UTC)
新しい出典の追加、改稿 (2012年12月5日 (水) 14:21 の版)
1. この記事の前提になっているのは、ここまでのノートで指摘されているポイント、つまり「花言葉の紹介には、出典などを使って一定の客観性を担保する必要がある」「すべての花言葉は創作である」「花言葉の具体例は必要」という三つの認識です。 2. 創作としての花言葉:この版では花言葉というものが、例えば「学名」と同じように人為的な命名だという前提を強調しています。 3. 花言葉と客観性:しかし花言葉には、「学名」が持っているような共通の認定団体や命名方法が存在しません。そのため何を示せば客観性が担保されたことになるかは、さまざまな考え方がありえます。この版では、広い範囲に流通したことが研究者の手で確認されている史料2点を、記述の支持材料に使っています。 4. 具体例は必要:この版は、花言葉は学名のように統一的な命名法を示すことができない以上、具体例のリストを掲載しないと記事としては不十分になるという前提を取っています。
5. トルコの慣行が王侯貴族によって西欧へ輸入されたとする旧版の「歴史」節の内容は、魅力的ではありますが、明確な出典を見つけることができませんでした。今回参照した二次文献でも懐疑的に扱われています。そのためこの版では花言葉の起源について、あいまいな記述にとどめています。新しい研究や資料を見つけたかたは、補足訂正いただければと思います。 6. 現代の、とくに日本における「花言葉」の浸透の具体例は、大幅な加筆が可能な分野だと思います。例えばTVドラマや漫画に花言葉が登場して、ある種の社会現象になったといったような例です。
--Bootyears(会話) 2012年12月5日 (水) 14:48 (UTC)
簡潔にここまで/これからの方針をまとめて下さったので、散らかすのを避け、絵の事などは私の会話ページにて申し上げます。御提示の表の植物名に関しては幾つか難しい点があり、これについては別の節を立てて書いておきます。 英語版の歴史節は、以前の日本語版から翻訳されたもので、ちょっとマズいです。なのでいずれ翻訳しようかと思います。(これも実は簡単ではないのですけど。) Bootyearsさんの御尽力に、厚く感謝を申し上げます。ありがとうございました。--Ahora(会話/履歴) 2012年12月8日 (土) 11:25 (UTC) 植物名の問題点今のところ分かっている点を挙げておきます:
誤った情報を流布する訳にもいかず、そのおそれのある項目は差し替えようかと思いましたが、せっかくですので今の版を活かし、記述の改善で対応しようと思います。少し時間がかかりますから取り敢えずは{{要検証}}タグを貼って、読者に注意を促しておきます。より正確性 (というか客観性) を確保するためにGreenawayだけでなく、de la Tourも原表記を明示しようと思います。 (日本大百科全書を含め、旧版のソースは、より時代が下った創作は避けている、という点では良く調べてありましたが、記述の正確性は、やはりいまいちだったようです。ゲッケイジュの不審は今回の出発点の一つでしたし、またperfidy=「裏切り」が花言葉なのは、少なくともde la TourではLaurier-Amandierであって、ゲッケイジュではありませんでした。) それと、やっぱり「山桜」はカンベンして頂きたいので、いずれ何かに差し替えさせて下さい。遅くとも鎌倉時代にはあった日本語である「山桜」と、「ヤマザクラ」とカタカナで書く今日の慣習の違いについて、Bootyearsさんのような知的な方でも認識していらっしゃらないようなものよりは、他に良い例があると思います。(ヤマザクラにも記述が無いですが、いずれ修正しておきましょう。)--Ahora(会話/履歴) 2012年12月8日 (土) 11:25 (UTC)
--Bootyears(会話) 2012年12月8日 (土) 23:26 (UTC)
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