ノート:日蓮/過去ログ1
「波木井の御影」について宗祖日蓮大聖人のお姿を最も正しく御写ししたのは、当宗総本山大石寺に所蔵するところの「鏡の御影」以外にないと自負するものである。 なぜ「鏡の御影」といわれるかといえば、「鏡に映したごとく」との意である。 本宗に伝わる古事として、日興上人は、点在する「御影」と称するものをすべて集め、「宗祖に似ていないものは御本仏の尊い姿を誤解せしめ、辱めることになる」として、似ていないものすべてに「不似」と書き加えたという。 小生は勿体なくも「鏡の御影」ならびに当山御影堂に秘蔵する御影様の尊容に眼福を得たが、「波木井の御影」なる贋造物とは比較にもならぬ素晴らしいお姿であった。 したがって、宗祖を尊敬するのであるのなら、そのような「似非御影」など掲載せぬように忠告するしだいである。220.209.163.182(2006年2月6日 (月) 14:03の版)
似てもいないものを「これが日蓮上人です」などというのは人々に誤解を与えるに過ぎない。君は自分をより不細工に肖像画にされて嬉しいか?君の脳みそがおかしいに過ぎない
教義的な対立を持ち込まないでほしい。肖像が似ているかどうかは究極的には写真なんかないんだから、決定不能。日興の証言・判断は、同時代人として一定の判断の根拠になるが、信者の立場ではないwikipediaからすれば、あくまでも同時代人という程度にとどまる。波木井の御影が歴史的に肖像とされてきたのなら、それはそれとして記述されるべき。積極的に、こういう顔だったと断定的に記述しなければよい。実際に似ているかどうかわからないなんてことは、言われるまでもなく、見る人は誰でもわきまえていることでしょう。消さずに、似ていないという説もある、とか、日興は似ていないとした、とか付記するのが正しい。信者であるらしいテトラレンマさんはともかく、ウィキペディアとしてはそもそも、特定の宗教の権威など認めない、あくまでも外部の、世俗の視点にとどまるべきものなのだから、教義的な議論は意味をなさない。133.9.4.12 2006年2月17日 (金) 13:33 (UTC)
大師号について 日蓮正宗の当時御の法主上人は確かに立正大師宣下の法要に出席はしているが、合掌礼拝もせずにいる。それではなぜその様な場所にいたのかといえば、顕本法華宗の本多某が門下統一を提案していたため、小さな揉め事をきらい、全門下統一を念頭においてのお振る舞いであった。しかし、統一(合同などではない)は一向に進まず、講演会において「御本尊を定め、一本化せずして統一などできようはずもない」(趣意)と強く日蓮教団を折伏された結果、この話は進展を見ずに終焉を迎えたのである。その過程においておきた小さな問題と捉えているが、日蓮正宗の御法主は「宗祖は御本仏ゆえに大師号など不要」との御本意は不変である。 >日蓮正宗の御法主は「宗祖は御本仏ゆえに大師号など不要」との御本意は不変である その「御本意」なるものの典拠を、是非とも示して頂きたいものです。典拠がなければ、あなたの独自の見解と言わざるを得ません。門下統一問題とか、法要に出席したが合掌礼拝はしなかったという話は、今ここで論ずべき問題とはズレております。直視すべきなのは、日蓮正宗が公に大師号を請願したという歴史的事実です。ともかく日蓮正宗は、日蓮正宗独自の考えがあって、自ら大師号を国に請願したのでしょう。すなわち当時の日蓮正宗法主・管長である日正上人は『大師号降賜請願』の請願書に署名されており、同請願書は大正11年9月11日に宮内大臣牧野伸顕に提出されました。日正上人は、他宗との「揉め事をきら」って、仏法上「不要」であり「謗法」である「大師号」の請願に与同して、しぶしぶ請願書に署名なされたのでしょうか。違うでしょう。そもそも大師号については、宗祖御自身が『種種御振舞御書』に 此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん、賢王・聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ現身に大師号もあるべし と、御自身への大師号宣下を予言されている以上、これを「不要」と教義解釈変更するにはそれなりの根拠が必要です。また、日蓮正宗においては、何が「謗法」で何が「謗法でない」かを決める教義の裁定権は法主の専権事項に属するのです。時の御法主上人御自ら大師号を請願なされているということは、日蓮正宗においては---後代の御法主上人によって新たな裁定が明示されない限り---大師号それじたいは、謗法には当たらないということです。宗内で大師号を通常用いないのは、謗法だからではなくて、しょせん大師号は世法上の称号に過ぎないからです。御法主上人の御事を宗内においては「代表役員」(これも世法上の称号---宗教法人法第12条にもとづく法人規則である「宗教法人日蓮正宗宗制」上の役職名---です)などと呼ぶことがないのと同じことです。--Kane(会話) 2012年12月27日 (木) 03:07 (UTC) >日蓮正宗および創価学会では、立正大師号を使用せずに日蓮大聖人と呼ぶ。 日蓮正宗の場合、当時の御法主上人が、国に立正大師号宣下を実施するよう訴え出ています。「あまり通常用いられていない」というだけであって、「立正大師号を使用せずに」の文言は不適切と考えます。また、「日蓮大菩薩」「立正大師」は当時の国主が与えた公的称号であります。「日蓮大聖人」は、日蓮正宗や創価学会等における内輪での尊称です。称号としての性格がそれぞれ異なります。Kane
立正大師号が日蓮正宗において「謗法」と裁定された例を知りません。典拠があるなら挙げていただけますか?大師号宣下当時の法主を「謗法」呼ばわりする結果になってしまうので、そのような言い方は日蓮正宗では絶対にしないはずです(創価学会や顕正会は、宗門批判のためにそういう言い方もするでしょう)。日蓮正宗で大師号を用いないのは、大師号はあくまでも世法上の称号・国家が宗祖に対して使用するために決めた称号であって、宗内で僧俗が用いるための仏法上の称号(=大聖人)とは違う、という態度を取っているからではないでしょうか?「大師号は謗法」というのは、違うと思います。Kane
本文から削除された記述
日蓮の遺骨は、身延山久遠寺にあるとされているが、日蓮正宗(大石寺)は、遺骨は大石寺にあると主張している。(いつのまにか本文から削除されていたのでここに加筆)Tetralemma 2005年8月4日 (木) 04:00 (UTC)
大石寺では、日蓮の遺骨の他に、歯を所有しており、日蓮の歯であると主張している。この歯を入手した経緯は不明で、大石寺にも記録が残っていないという。江戸時代のころ日蓮宗池上本門寺において日蓮の歯を特別に販売したという話も残っているため、あるいはそのころ手に入れたものである可能性もある。(いつのまにか本文から削除されていたのでここに加筆)Tetralemma 2005年8月4日 (木) 04:00 (UTC)
中立性に疑義のある記述以下の記述は、特定の1派だけひいきしているようにみえるので、そうならないよう注意して修正してみました。--Dalaibaatur 2005年8月13日 (土) 19:00 (UTC) 一連の中立性への疑義のある記述を戻し。 敬語や特定宗派の観点からの記述は百科事典にふさわしくない。つよく自制を求めたい。 日蓮の、あるいはその弟子のどの門派のどの説が、そもそも仏教がただしいかどうか、などというのは百科事典の踏み込む領域ではない。特定の宗派的な、宗教的信念や、その「信者」としての観点からの記述は自派のサイトででもやるべき。宗教的な真理や信念にもとづく記述、あるいはそうした信念にもとづく敬語は、非信者にも一般的に浸透している程度のものでなければ、あきらかに異常である。他派や、たとえばキリスト教徒にも同意できるような記述をすること。 宗派的な敬語や尊称を是正。あと、どうも最近の記述は日蓮正宗の立場のもののようなのですが、他派の立場に対して、とくに継承の正当性の主張にたいして中立的な記述をどなたか知識のある方お願いします。133.9.4.12 2006年2月3日 (金) 06:46 (UTC)
生誕年について貞応元年とされていますが,月日からすると承久4年になるのではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、203.180.44.196(会話/Whois)さんが 2007年10月30日 (火) 02:01(UTC) に投稿したものです。 また、没年月日のユリウス暦は11月14日になるはずです。 慶応以前は元年と末年の元号はどちらを用いても構いません。皇室典範で、つまり明治以降、日付で元号が替わると規定されました。 「日蓮大聖人」という尊称と、仏界常住について「大聖人」と「仏界常住」は後世の特定宗派の教義ではなく 日蓮大聖人御自身が定められていることで、以下に根拠を掲示します。
前の三人の聖人は分証の聖人、後の一は極果の聖人なり」と。 籤の一 本四十四 に云はく「前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約す」と。『三種教相事』 聖人にも声聞・縁覚・菩薩・仏の区別があると日蓮大聖人は仰せられて 三乗の聖人は迹門、仏果の聖人が本門としています。
日蓮大聖人は、御自身が、仏果の大聖人にあたると仰せられていることが伺えます。 また、御在世の時は、信徒は「聖人」と尊称していたと伝わります。--以上の署名のないコメントは、Leo masaaki(会話・投稿記録)さんが 2008年2月12日 (火) 02:20(UTC) に投稿したものです。
一般の人が知らないことを詳細に載せることに百科事典の意義があると思いますがいかがでしょうか。 認知されていないことを載せてはいけないとなりますとwikipediaの存在意義はなくなります。--日示 2008年2月12日 (火) 03:31 (UTC)
では、どこが認められないのかを、ここで根拠を示して議論すべきではないでしょうか。--日示 2008年2月12日 (火) 03:45 (UTC) 図書館にある百科事典をみれば一目瞭然でしょう。そんな記述はどこにも見られない。仏教の専門家は誰もそんなことを真実だと認めていない証拠です。極端な話になりますが、日蓮が仏界に住んでいるのを見て、撮影した人はいるのですか?もう、バカバカしいですよ。日蓮は日蓮正宗だけの宗祖ではありませんし、彼の教説の解釈権も日蓮正宗だけに存するのではありません。Leo masaakiさんにとってのwikipediaの存在意義とは、日蓮正宗の教義を喧伝する場としか見えないのです。Isebito 2008年2月12日 (火) 04:00 (UTC) 失礼、仏教のすべて仏教研究者ではありません。「日蓮を無条件に崇拝する仏教の研究者を除いて」です。Isebito 2008年2月12日 (火) 04:02 (UTC) 上記に御書を掲示しましたが、「仏教の専門家」は、これらをどういった根拠で認めないのでしょうか。 単に、知らなかっただけではありませんか。--日示 2008年2月12日 (火) 04:08 (UTC) 少なくとも日蓮の研究者は知っているはずです。どういった根拠で認めないのか、本当にわからないのですか? 実際に目視した人がいて、証拠写真を提示すれば認めると思いますよ。それと、繰り返しになりますが、日蓮が書いた文献があるからといって、それがそのまま真実とは言えません。史料批判は歴史研究の基本中の基本です。Isebito 2008年2月12日 (火) 04:13 (UTC) なぜ、真実とは言えないのか、ここで根拠を示すべきではありませんか。--日示 2008年2月12日 (火) 04:22 (UTC) だったら、真実だと言える証拠は? 少なくとも世界におよそ60億いる人類で、日蓮の教義を真実だと考えている人は、わずかしかいないということは真実です。そうである以上、wikipedia上で書くべきことではないのですよ。こう書くと、「真実を分かっていない人が多すぎる」とおっしゃるかもしれませんが、布教活動は別の場所でやってください。お願いします。Isebito 2008年2月12日 (火) 04:27 (UTC) 日蓮大聖人がこう仰せられている、ということは客観的真実ですが、 教義を信じるか信じないか、とする議論はまた別次元ではありませんか。 日蓮大聖人の仰せられていることまで削除すると「日蓮」の項目に成りえませんがいかがでしょうか。--日示 2008年2月12日 (火) 04:31 (UTC) だから、日蓮が書いたという文献を挙げることは否定しません。最初の方で「日蓮がそう自称したと書いては?」と提案したじゃないですか。よく、読んでください。Isebito 2008年2月12日 (火) 04:38 (UTC) 本文には「宗祖としての日蓮大聖人は」としています。よく、読んでください。--日示 2008年2月12日 (火) 04:39 (UTC) 「日蓮大聖人」というのは日蓮正宗系が好む表現じゃなかったですか?それに宗祖だろうとなかろうと、不特定多数の人が利用する百科事典にそのような尊称は必要ありません。そう書くのであれば、「日蓮は~と自称している」と書くべきです。勝手に日蓮の宗派を「日蓮正宗」とするのは止めてください。他の門流の人は認めませんよ。Isebito 2008年2月12日 (火) 04:59 (UTC) 他の門流の人は、日蓮大聖人の仰せられることを仰がないということでしょうか。--日示 2008年2月12日 (火) 05:05 (UTC) 日蓮大聖人は、宗祖としての面があるということは、不特定多数の人も認めている、客観的事実ではないでしょうか。 --日示 2008年2月12日 (火) 05:07 (UTC)
一般社会の通念とはどのようなものでしょうか。日蓮大聖人がご自身を日蓮大聖人と号したことは、客観的事実として一般社会の通念上十分受け入れられるものだと思いますが、いかがでしょうか。--日示 2008年2月12日 (火) 05:18 (UTC)
本人がそう言うのでしたら、追記するべきではないでしょうか。 真偽の判断は読者に任せるべきで、著者の主観は入らないことで、 はじめて中立性のある記事が保てると考えますが、いかがでしょうか。--日示 2008年2月12日 (火) 05:52 (UTC)
良い提案をありがとうございます。--日示 2008年2月12日 (火) 06:23 (UTC)
当方一個人への批判は堪忍しますが、上記の資料に対する明瞭な反論が無いので、ページ移動させていただきました。--日示 2008年2月18日 (月) 07:38 (UTC) 合意の得られていない移動が再度行なわれたため、差し戻しの上、移動保護をかけました。合意がえられたならば解除します。--Ks aka 98 2008年2月18日 (月) 08:03 (UTC) 一般に、日蓮大聖人の御生涯は、佐渡以前と佐渡以後にわかれおり、佐渡以後は、風呂や神社参りのついでに参詣してきたものを、にがにがしくも追い返しています。「大聖人」と書くことが、本質を顕していると考えます。合意をよろしくお願いします。--日示 2008年2月18日 (月) 08:22 (UTC) まずは「大聖人」というのが尊称(自称の?)であり名前の一部ではないというのは共通認識だと思いますが・・・--Aki4 2008年8月15日 (金) 13:59 (UTC) 六老僧を後継者に定める という記述についての疑問六老僧は、「だれかれは宗祖の直弟子である」と信徒にむやみに名乗らせないように 配置させられたと日興上人は言われていますが、後継者とはどこにも定められていません。--日示 2008年2月18日 (月) 06:33 (UTC) 日興筆の御遷化記録に「本弟子六人 不次第」とありますね。普通、「弟子」師匠の「後継者」です。本弟子とあれば尚更です。 「不次第」という仏教語の理解がやや正確ではないようです。「不次第」の出典は『梵網経』に「皆應先受戒者在前坐。後受戒者次第而坐。莫如外道癡人。若老若少無前無後。坐無次第兵奴之法。我佛法中先者先坐後者後坐。而菩薩不次第坐者。犯輕垢罪」とありまして、要するに僧侶が入門の古い順に序列を付けて並べられることを「次第」、入門の古い順番ではなく別の基準で序列を定めることを「不次第」と言い、序列そのものが存在しないことは「無次第」と言うのです。もし六老僧が全員平等で宗祖の特定の後継者が不在であったならば、御遷化記録には「不次第」とは書かれず、「無次第」と記載されたはずです。--Kane(会話) 2012年12月26日 (水) 14:11 (UTC) 「大聖人」という尊称について(2)前々節で議論のあった「大聖人」という尊称については、大石寺系だけでなく、日蓮宗内の興統法縁(日興門流・富士門流)の諸寺院でも使用されており[1]、日蓮系の諸宗派のなかで富士門流に属する諸寺院が奉ずる教義と深く関係した尊称であるようです。ただし、日蓮宗内でも、多数派を占める富士門流以外の諸門流に属する寺院では別の尊称(たとえば「宗祖日蓮大菩薩」)を使用しており、「大聖人」という尊称は、日蓮を宗祖とする諸宗派全体で共有されている尊称ではありません。前々節の議論では、日蓮自身が「大聖人」と自称したことが自明のようなやり取りですが、Leo masaaki (日示)さんが典拠として引用した文面も「自称」ではなく、Leo masaaki さんが解釈を加えて「大聖人にあたると仰せられていること」を「伺」っておられるだけです。妥協案として、 を提案します。--Dalaibaatur 2010年7月2日 (金) 00:40 (UTC)
「大聖人」の称号については、宗祖自身が1275年(建治元年)に曾谷教信へ宛てた消息文である『法蓮抄』(真蹟:身延曾存)に 去年の四月八日に平左衛門尉に対面の時蒙古国は何比かよせ候べきと問うに、答えて云く経文は月日をささず但し天眼のいかり頻りなり今年をばすぐべからずと申したりき、是等は如何にして知るべしと人疑うべし予不肖の身なれども法華経を弘通する行者を王臣人民之を怨む間法華経の座にて守護せんと誓をなせる地神いかりをなして身をふるひ天神身より光を出して此の国をおどす、いかに諌むれども用いざれば結局は人の身に入つて自界叛逆せしめ他国より責むべし。問うて云く此の事何たる証拠あるや、答う経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行わず」等云云、夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九・大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く「聖人去らん時は七難必ず起る」等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を。 と、はっきり記されておる訳ですから、宗祖が自称のひとつとして用いていたことは、今さらここで宗派間の教義論争をするまでもなく明々白々です。宗祖遺文真蹟に自称として現れていた「大聖人」という称号を殊更に本項目から抹殺することは、宗祖の思想や人物像を学問的に考察していく上でも決して有意義ではなく、かえって特定宗派の教義に組するもので、記事の中立性を損ねる恐れがあるものと考えます。--Kane(会話) 2012年12月26日 (水) 14:47 (UTC) 日興は「日蓮正宗」のみの派祖ではない
以上より、 などの修正は、旧表記に復帰します。--Dalaibaatur 2010年8月28日 (土) 01:37 (UTC) 七面天女の記述日蓮ではなく、久遠寺か、勧請した弟子の項目に記述するのが妥当かと。--Dalaibaatur 2010年8月28日 (土) 01:44 (UTC) 分割の提案鎌倉時代に生きた「歴史上の日蓮」と、「末法における久遠の本仏・日蓮大聖人」を別の記事として分割することを提案します。日蓮関係のさまざなな記事の文面を、大石寺系教学の特殊用語でいじってまわるのではなく、大石寺教団の教えの中核部分を、百科事典の記事として、客観的な記述でご紹介いただけることを期待してやみません。同様の分割がすでに行われている例としては「釈迦」(インドに王子として生まれ仏教を説いたのち80才で死去した歴史上の釈迦について記述)と、釈迦如来(後世に神格化された釈迦について記述)があります。--Dalaibaatur 2010年8月29日 (日) 01:08 (UTC)
注肖像について質問Nekokiss01さんが、2014年9月17日 (水) 00:58時点における版 でアップされた画像は、どこの所蔵でしょうか。また、その肖像に名前がついているようでしたら、あわせて本文に記載頂けると幸いです。--1000dai(会話) 2014年10月1日 (水) 05:15 (UTC) 報告ご意見を求めてから一ヶ月経過しますが特段の投稿がありませんので、一旦COさせて頂きました。--1000dai(会話) 2014年11月3日 (月) 06:41 (UTC) 外部リンクについて提案 関係者が、自己に有利な外部リンクを設定したいと思うのは至極当然です。しかし、それではきりがなくなるので、
に限定した方が良いと思うのですが、いかがでしょうか。--1000dai(会話) 2014年10月1日 (水) 05:16 (UTC) 報告提案から一ヶ月経過しますが特段の投稿がありませんので、上記の通りに編集させて頂きました。--1000dai(会話) 2014年11月3日 (月) 06:41 (UTC) 節「日蓮門下の諸派」について 報告Dalaibaatur(会話 / 投稿記録 / 記録)さんから利用者‐会話:Vice-priestにてご依頼がありましたので、管見の限りで恐縮ですが報告させて頂きます。
なお、削除提案部分は一本線での見え消し(例:
参考文献 以上、重箱の隅ばかりですが、気づいた点を列挙させて頂きました。なお、学びの機会を与えて下さったDalaibaatur(会話 / 投稿記録 / 記録)さんには、この場を借りて感謝申し上げます。--1000dai(会話) 2014年11月14日 (金) 08:00 (UTC) |