ノート:愛について語るときに我々の語ること統合の提案レイモンド・カーヴァーの短編記事について、サブスタブ状態で放置されているものもたくさんあるので、以下の統合を提案します。
それぞれの短編集については明らかに特筆性がありますが、収録されている短編については単独記事を立項する特筆性が明確でないものがあります。短編についてはWikipedia:特筆性 (フィクション)やWikipedia:特筆性 (書籍)に従うべきで、おそらく複数の独立した情報源から、短編集から独立して一個の短編としてレビューや学術論文が刊行されていることが基準になるかと思います。「冷たい方程式」(この記事も現状かなり問題がありますが)レベルに有名か、英語版のen:Paul's Caseのようにレファレンスによって影響力が示されていないと、短編のみでの立項はしないほうがいいのではと思います。 このうち、「愛について語るときに我々の語ること (小説)」については『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』で一躍有名になりましたので書き方によっては単独記事が立てられるかと思いますが、現状では短すぎて統合したほうが見やすいと思います。「菓子袋」、「足もとに流れる深い川」、「収集 (小説)」、「頼むから静かにしてくれ (小説)、「ジェリーとモリーとサム」、「ダイエット騒動」も『ショート・カッツ』の原作になっているので特筆性は担保できるかもしれませんが、現状では短すぎます。 他の短編については現状では特筆性が担保できず、また記事が短すぎるだろうと思います。短編集記事にまとめて記載したほうが、読み手のほうもわかりやすいのではないでしょうか? ただ、短編によっては別の短編集に採録されている場合があるため、部分的に違う短編集にコピーするか統合するというのもあり得ると思います。また、「菓子袋」、「足もとに流れる深い川」、「収集 (小説)」、「頼むから静かにしてくれ (小説)、「ジェリーとモリーとサム」、「ダイエット騒動」を部分的に『ショート・カッツ』に統合というのもあり得るかとは思います。 なお、短編集を1本の記事として立てる場合、以下の四つのテンプレートも不要ではと思います。むしろレイモンド・カーヴァーのテンプレートを作るべきではないでしょうか。 なお、少々微妙で煩雑なケースですので、何か他の方法でわかりやすくカーヴァーの短編をまとめるご提案があるようならば大歓迎いたします。 --さえぼー(会話) 2016年8月26日 (金) 10:25 (UTC) 上記の短編集に含まれていなかったので申し上げます。もう一つ、「ぼくが電話をかけている場所 (小説)」と同名の、村上春樹が独自に編んだ『ぼくが電話をかけている場所』という短編集の記事があります。こちらの取り扱いも視野に入れた上での検討が必要かと存じます。個々の作品の特筆性の是非については、多くの人のご意見をうかがいたいと思います。--Twodrifters(会話) 2016年8月26日 (金) 現状のテンプレートを廃止して、レイモンド・カーヴァー全体のテンプレートを作るのには賛成です。短編集ごと分割されているとページ間の行き来が極めて不便なので。 短編作品の特筆性自体は個人的にはあると思いますし、他の評論ソースの解説や批評を加筆するのが理想ですが、それができていない現状だと、『中国行きのスロウ・ボート』の記事のように、短編集の記事の中に節として各短編の情報と簡単なあらすじを記載するという方式のほうが一覧性があり利用者の利便に叶うかもしれませんね。一意見として参考にしてください。--ライオネル・ジョンスン(会話) 2016年8月26日 (金) 16:59 (UTC)
報告短編にも特筆性はあるのではないかという意見が複数ありましたので、とりあえず全ての短編を短編集に統合するのは中止しました。みしまるももさんの意見に愛について語るときに我々の語ることのページを、愛について語るときに我々の語ること (小説)に統合というのがありましたが、記事名の点からすると小説に作品集のページを統合するよりは作品集に小説を統合したほうが適切だろうと考えましたので、こちらのみ統合を実施しました。「愛について語るときに我々の語ること」の内容についてはどんどん手を入れて下さいますと幸いです。また、テンプレートについては不要になったものは削除依頼いたします。--さえぼー(会話) 2016年9月16日 (金) 09:39 (UTC)
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