ノート:中村哲 (医師)「度々明白に事実と反する、若しくは状況から事実とは考えがたい情報をメディアや講演で提供して一部から批判を浴びた。」は、要出典、要根拠。--以上の署名のないコメントは、Taachan(会話・投稿記録)さんが 2007年7月16日 (月) 00:07 に投稿したものです(直蔵(会話)による付記)。 中央公論2001年12月号の記述を引用。 「'89年のソ連撤退後,ナジブラ政権を倒したラバニ、マスードらのムジャヒディン(イスラム武装勢力)は、'92年にカーブルを占拠し、暫定政権を打ち立てました. しかし彼らは、統治能力が全くないどころか、軍閥の内戦を激化させ、アフガニスタンを混乱に陥れた。 私も何度も目撃しました。カーブル市内では、扶助暴行、拉致、襲撃、略奪婚などが横行していました。ゲリラ兵が町に入ってきて、美しい女性を目にすると、強引に連れ去るのです。そして自分の妻にしてしまう。女性は、暗闇はおろか、昼間でも外を歩けない状態でした。 殺戮も酷いものです。先般、テロにあって命を落とした北部同盟の将軍マスードなど、日本では好意的に報道されていますが、とんでもありません。当時,マスードは暫定政権に入っていましたが、市中にある小高い丘から、大砲でハザラ族の居住地を無差別攻撃した挙句、破壊させるなどの暴挙を繰り広げ、1万6千人の市民が死亡しました。」 まず前段、なぜか権力掌握を目指して内戦を再開させたグリブディン・ヘクマティアルへの批判が完全に欠落している。理由があるとすれば、彼がパシュトゥン人であり、この記事が出た頃タリバーンと和解を果たしていた(反米共闘で一致していた)事ぐらいしか考えられない。 中段以降はもう無根拠もいい所。日本語外国語含めてソースが全く見当たらないんだが--以上の署名のないコメントは、122.103.116.29(会話)さんが 2008年1月13日 (日) 01:44 に投稿したものです(直蔵(会話)による付記)。 もう一つ付言すると、写真家の長倉洋海氏は、講演会(2002年1月14日、札幌教育文化会館)の中で次のように証言しています。 「マスードが残虐な行為を行ったという中傷報道があるが,自分が知る限り事実無根である。新聞記者に電話をかけて、何を根拠に言っているのかを確認したところ、『ある日本人が言ったことを又聞きして書いただけで、長倉さんに言われると返す言葉がありません』という返事だった」 まあ、こんな日本人は特定の一名しかいない訳ですが。--以上の署名のないコメントは、122.103.116.29(会話)さんが 2008年1月13日 (日) 01:51 に投稿したものです(直蔵(会話)による付記)。 上記3コメントのうち、Taachanさんによるものには署名自体がされておらず、122.103.116.29さんによるもの2つには署名自体はあったものの、ノートページで要求されている日時入り署名がされていなかったため、いずれもテンプレートを利用して署名補完を行いました。内容面については判断したり、手を加えてはいません。--直蔵(会話) 2019年12月4日 (水) 15:25 (UTC) 出身小学校について現在は古賀市立古賀西小学校と記載されているが、これは正式に発表されているものではなく、この記載について引用などを記載するべきか、削除すべきであると考えられる。 4649people(会話) 2019年12月4日 (水) 22:50 (UTC) この議題が解決した為、終了とします 4649people(会話) 2019年12月8日 (日) 08:06 (UTC) 日本バプテスト連盟が追悼文を出しました。・中村医師がバプテスト派のクリスチャンであることについて要出典とされていましたが、12月9日に日本バプテスト連盟が追悼文を出しました(https://www.bapren.jp/wp-content/uploads/2019/12/39ad20407cfd14abc87abf95de4a147f-1.pdf )。「(以下、引用抜粋)中村哲さんはその若き日、福岡の西南学院中学校在学中に聖書を通してイエス・キリストに出会い、香住ヶ丘バプテスト教会においてバプテスマ(洗礼)を受け、クリスチャンとしての歩みを始められました。35年前にペシャワールに赴任されて以来、神を信じ、人を信じ、いかなる時にも現地の人々と危険と労苦を共にして取り組まれた働きは、『天、共に在り』の確かな信仰に裏打ちされたものでした。」間違いなく、信者さんであると判断してよろしいかと思われます。--219.100.86.4 2019年12月10日 (火) 13:33 (UTC)
宗教日記。生前の中村氏の講演では『自分は宗教について簡単には語れない』とお話しされていた。 クリスチャンという括りでは彼の信念は語れず、また語るべきではないと考える。 青木 一路(会話) 2021年7月5日 (月) 22:19 (UTC) 死去に対するお悔やみのメッセージの掲載について理由のない記述の除去はよくないという意見には同意しますが、WP:NOTMEMORIALの観点から掲載の仕方については議論の余地があると考え、議題に挙げさせていただきます。別の人物記事を見てもそこまでお悔やみの欄に力を入れているようには思えないので、現在の書き方のいいところや課題点を洗い出せ、より良い内容を目指せないかと考えております。皆様のご意見を賜れますと幸いです。よろしくお願いいたします。--遡雨祈胡(会話) 2020年1月14日 (火) 22:36 (UTC)
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