ウィリアム王がエクスターを包囲しているさなか、ハロルド王の3人息子のゴドウィン・エドマンド・マグヌス率いる侵攻艦隊がアイルランドから出港して南西イングランド沿岸部を襲撃した。3兄弟が率いていた52隻の艦隊は、1052年に亡命中であった兄弟たちの父ゴドウィンを支援したとされるアイルランド上王ディルミット(en:Diarmait mac Máel na mBó)が彼らに貸与した艦隊であった。艦隊がデヴォン地域に着陣した時には既にウィリアム王はデヴォンに居なかったが、彼はデヴォン防衛のために大軍を残していた。ウィリアム王の残したデヴォン守備軍はエアドノス城主(en:Eadnoth the Constable)が率いていたとされ、サマセット地域のブリードン(en:Bleadon)でゴドウィン兄弟率いる軍勢と激突したとされる[10]。戦闘の詳細は伝わっていないが、エアドノス指揮官は戦死しサクソン軍は彼らの艦船に帰還した。3兄弟のうちマグヌスのみ、戦後以降の文献上から名前が確認されないことから、戦闘の際にマグヌスの身に何が起きたのか詳細が分かっていない[注釈 4]。ブリードンでの戦いの後もサクソン軍はデヴォン・コーンウォール地域沿岸部を襲撃し続け、その後戦利品を携えてアイルランドに撤退した[1][8]。
^ abグリーンによれば、「ウィリアム・オブ・ヴォーヴィル」はエクセター城主であったという。(BL Cotton MS Vespasian A XVIII, ff. 1571-162v) また彼は William Gualdiと称される1069年にハロルド王の息子たちの軍勢に対抗するために派遣された討伐軍の副司令官と同一人物であるとみなされている[15][16]。
Morris, Marc (2012). The Norman Conquest. London: Windmill Books. ISBN978-0-09-953744-1
Orderic Vitalis (1968–1980), Chibnall, Marjorie, ed., The Ecclesiastical History of Orderic Vitalis, 6 volumes, OUP, ISBN0-19-820220-2
Ross, Margaret Clunies (1985). “Concubinage in Anglo-Saxon England”. Past & Present (Oxford University Press on behalf of The Past and Present Society) 108 (108): 3–34. doi:10.1093/past/108.1.3. JSTOR650572.
Sharpe, R (2016). “The Earliest Norman Sheriffs”. History (Wiley) 101 (347): 485–94. JSTOR26624553.
“Before the Norman Conquest”. A History of the County of York: the City of York. London: British History Online. pp. 2–24 (1961年). 25 March 2023閲覧。
William of Jumièges Elisabeth M. C. Van Houts訳 (1995). Van Houts, Elisabeth M. C. ed. The Gesta Normannorum Ducum of William of Jumièges, Orderic Vitalis and Robert of Torigni. Oxford: Clarendon Press
外部リンク
Wolfarm Alpha site to compute historical high tides in Devon.