ネフチ・バクー
ネフチ・バクーPFC(アゼルバイジャン語: Neftçi Peşəkar Futbol Klubu, 英語: Neftchi Professional Football Club)は、アゼルバイジャンの首都バクーを本拠地とするサッカークラブである。 1937年にネフチャニク(Neftyanik / 石油労働者)の名前で設立され、1968年にネフチに改名した[1]。アゼルバイジャンを代表する強豪クラブの一つである。ソビエト連邦リーグ時代の最高位は1966年シーズンの3位である。1992年に開始されたアゼルバイジャン・プレミアリーグでは9回の優勝を誇る。 歴史1937年に石油都市として知られていたバクーで石油業界で働く人々によって、サッカーチーム「ネフチャニク・フトボル・クルブ」(Neftyanik[注 1] futbol klubu) が創設された[1][2]。当時はロシア語がより盛んに使用されていたため、ネフチ (Neftçi) ではなく、ネフチャニクという名称が使用された[2][4]。エンブレムには石油プラットフォーム(石油掘削装置)とネフチャニクのキリル文字表記の頭文字である「Н」が描かれた[2]。クラブカラーの白と黒は石油(ブラックゴールド)の「黒」と、石油と共に共和国の栄光を支える役割を果たした綿花(ホワイトゴールド)の「白」に由来している[2]。 クラブ最初の公式試合は1937年5月24日に開催されたUSSRカップのディナモ・エレバン戦であり、ネフチャニクがパヴェル・シュトゥルリンの得点で1-0で勝利した[1][4]。次戦のディナモ・バトゥミにも勝利したが、次々戦でディナモ・トビリシに敗れた[4][5]。 1966年にソビエト連邦サッカーリーグで優勝したディナモ・キーウ、2位のSKAロストフ・ナ・ドヌに次ぐ3位の成績を残した[1][3][6]。これはアゼルバイジャンのクラブがソビエト連邦の最上位リーグで記録した最高順位である[6]。 1966-67シーズンにUSSRカップで準決勝に進出したが、CSKAモスクワに0-0で引き分けた後に引き分け再試合で0-2で敗れた[7]。1967-68シーズンにもUSSRカップで準決勝に進出したが、トルペド・モスクワに0-2で敗れた[8]。 1968年にネフチ (Neftçi) に改称された[1][2]。 1970年にUSSRカップで準決勝に進出したが、ディナモ・トビリシに0-1で敗れた[9]。1971年にもUSSRカップで準決勝に進出したが、スパルタク・モスクワに0-5で敗れた[10]。 1992年に独立後最初のアゼルバイジャン選手権で優勝を果たした[1]。 1993年に初年度のアゼルバイジャン・スーパーカップで優勝を果たした[1]。 1994-95シーズンにアゼルバイジャン・クボクで初優勝を果たし、1995年にスーパーカップでも2回目の優勝を果たした[1]。 1995-96シーズンにリーグとカップで共に2回目となる優勝を果たし、ダブルを達成した[1]。同シーズンに欧州カップに初出場を果たした[1]。UEFAカップウィナーズカップ 1995-96のAPOELとの第2戦に0-0で引き分け、アゼルバイジャンのクラブとして欧州カップで初の勝ち点(ポイント)を獲得した[11]。 1996-97シーズンに3回目のリーグ優勝を果たした[1]。同シーズンにUEFAカップ1996-97に出場し、ロコモティフ・ソフィアとの第1戦に2-1で勝利して、アゼルバイジャンのクラブとして欧州カップで初勝利を記録した[11]。 1997年にネフチPFK (Neftçi Peşəkar Futbol Klubu) に改称された[2]。UEFAチャンピオンズリーグの参加資格はUEFAランキングの上位24か国に限られていたが、1997年に変更され、アゼルバイジャンのクラブも参加可能となった[11]。ネフチはアゼルバイジャンのクラブとしてチャンピオンズリーグに初出場を果たし、UEFAチャンピオンズリーグ 1997-98のヴィジェフ・ウッチとの第1戦でデビューを果たした[11]。 1998-99シーズンに3回目のカップ優勝を果たした[1]。 2003-04シーズンにリーグとカップで共に4回目となる優勝を果たし[1][注 2]、1995-96シーズン以来となるダブルを達成した[16]。カップ決勝ではシャムキルを延長戦の末に1-0で破った[17]。ネフチとシャムキルは非公式大会[注 2]であった2001-02シーズンのカップ決勝でも対戦したが、ネフチにペナルティーキックが与えられた後、シャムキルは試合終了6分前にグラウンドから立ち去っていた[16]。 2004-05シーズンに5回目のリーグ優勝を果たした[1]。同シーズンはネフチとハザル・レンコランが同勝ち点で並んだため、2005年6月10日に1試合制の優勝決定戦が開催され、ネフチが2-1で勝利してタイトルを獲得した[18]。 2005年にCISカップで決勝に進出したが、ロシアのロコモティフ・モスクワに1-2で敗れて準優勝に終わった[19]。2006年にもCISカップで決勝に進出すると、リトアニアのFBKカウナスに4-2で勝利して優勝した[20]。準決勝ではアゼルバイジャンと複雑で未解決な問題を抱えているアルメニアのピュニク・エレバンと対戦予定であったが、ピュニクは安全上の理由から試合を拒否して大会から撤退した[21][22]。ソビエト連邦を構成していた15か国の代表が参加するCISカップでこのような事態が発生するのは14回目にして初であった[22]。主催者のロシアサッカー連合はCISカップの規則により、ピュニクが正当な理由なく試合に出場しなかったとして0-3の敗戦扱いとすることを決定した[22]。 2008年にUEFAインタートトカップに出場し、UEFAカップ 2008-09の出場権を争う3回戦に進出したが、ヴァスルイに敗れた[23]。 2010-11シーズンにアリフ・アサドフ監督の下で2004-05シーズン以来となる通算6回目のリーグ優勝を果たした[24]。監督としてリーグ初優勝を飾ったアリフ・アサドフは選手としても3回のリーグ優勝を経験しており、選手と監督の両方でリーグ優勝を経験した最初の人物となった[25]。 2011-12シーズンにリーグ連覇を達成し、通算7回目の優勝を果たした[26]。2011年12月4日に開催されたプレミアリーグ第15節のシムルグ戦でアラズ・アブドゥライェフがネフチのリーグ通算1000得点目を記録した[27][28][注 3]。ネフチは全国選手権で通算1000得点を記録した最初のチームとなった[28]。ネフチのリーグ初得点は1992年5月8日に開催されたハザル・スムガイト戦でユニス・ヒュセイノフが記録していた[28]。また、同年11月30日に開催されたカップのシムルグ戦に1-0で勝利して、クラブ創設74年目で公式戦通算1000勝目を記録した[27]。 2012-13シーズンにリーグ3連覇を達成し、通算8回目の優勝を果たした[29]。カップでも決勝でハザル・レンコランをPK戦で破り、5回目の優勝を果たした[30][31]。同シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ 2012-13の予選1回戦でゼスタポニに勝利したが、予選2回戦でハポエル・イロニ・キリヤット・シュモナに敗れ、UEFAヨーロッパリーグ 2012-13のプレーオフに回った[11]。ヨーロッパリーグのプレーオフでAPOELに勝利して、アゼルバイジャンのクラブとして初のグループステージ進出を果たした[11][32][33]。グループステージのデビュー戦となった第1節のパルチザン戦で引き分けて、初の勝ち点を獲得した[11][34]。ホームのデビュー戦となった第2節のインテルナツィオナーレ・ミラノ戦でニコラス・カナレスがグループステージの初得点を記録した[35]。ネフチはグループステージ最下位に終わったが、最終節にはインテルナツィオナーレ・ミラノと2-2で引き分けた[36]。 2013-14シーズンにカップ決勝でガバラをPK戦で破って連覇を達成し、通算6回目の優勝を果たした[37][38]。 2020-21シーズンに通算9回目のリーグ優勝を果たした[39]。首位のカラバフと勝ち点差1で迎えた最終節に両チームが直接対戦し、アフメド・アフメドフが90分に記録した決勝点で逆転優勝を果たした[39]。また、ナミク・アラスカロフがプレミアリーグ得点王に輝いた[40]。 タイトル国内タイトル
国際タイトル
過去の成績
欧州の成績
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手→詳細は「Category:ネフチ・バクーの選手」を参照
脚注注釈出典
外部リンク |