ネクシヤル(ヒンディー語:नेकुसियार, Nekusiyar, 1679年10月6日以前 - 1723年4月12日)は、北インド、ムガル帝国の対立君主(在位:1719年)。シャー・ネクシヤル(Shah Nekusiyar)とも呼ばれる。父は第6代君主アウラングゼーブの四男アクバル。
生涯
1679年10月6日、ムガル帝国の皇子アクバルとその妃サリーマ・バーヌー・ベーグムとの間に生まれた[1]。
1681年、父アクバルが祖父である皇帝アウラングゼーブに反乱を起こし、マラーター王国へと逃げたため、ネクシヤルはアーグラ城に幽閉された[1]。以来、40年近く幽閉生活が続いた。
1719年5月19日、ネクシヤルはアーグラの知事ビールバルによって長い幽閉生活を解かれ、対立皇帝として擁立された[1]。理由はデリーで皇帝ラフィー・ウッダラジャートを擁するサイイド兄弟に対抗するためであった。
だが、8月13日にアーグラはデリーの軍勢に占領され、ビールバルの政権は崩壊し、ネクシヤルは捕えられてしまい、デリーのサリームガル城に幽閉されることとなった[1]。
1723年4月12日、ネクシヤルはサリームガル城で幽閉されたまま死亡した[1]。
家族
后妃・子女なし
出典・脚注
- ^ a b c d e Delhi 11
関連項目