ニビャ・マリーニョ
ニビャ・エリーダ・マリーニョ・ベッリーニ(Nibya Élida Mariño Bellini, 1920年3月23日 - 2014年9月1日)は、ウルグアイ出身のピアノ奏者[1][2][3][4]。 モンテビデオの出身。幼少期からヴィルヘルム・コリシェに音楽を学び、6歳で初舞台を踏んだ。11歳の時にブエノスアイレスのコロン劇場でエルネスト・アンセルメの指揮によりロベルト・シューマンのピアノ協奏曲を弾いてデビューを飾った。その後、ウルグアイ政府の計らいにより、パリに留学し、1935年からエコールノルマル音楽院でアルフレッド・コルトーやマルセル・シャンピに師事。また、アメリカでクラウディオ・アラウの薫陶も受けた。1938年のウジェーヌ・イザイ・コンクールで5位入賞を果たし、第二次世界大戦後に欧米でリサイタルを開いて好評を博したが、1950年代からウルグアイ国内に演奏活動を制限した。 モンテビデオにて没。 註 |