ニコライ・ストゴフニコライ・ニコラエヴィッチ・ストゴフ(ロシア語: Николай Николаевич Стогов、1872年9月10日 - 1959年12月7日)は、ロシア帝国の軍人。ロシア帝国軍時代は中将。ロシア革命後、赤軍に移り全ロシア参謀総長を務めたが、後に白軍運動に加わった。 経歴軍歴
ロシア革命二月革命後、多くの指揮官が解任される中、1917年4月17日に第16軍団長に任命される。ラーヴル・コルニーロフ将軍の行動時、9月10日、S.マルコフ将軍に代わり、南西戦線の軍の参謀長に任命された。 十月革命後、戦線の軍総司令官を暫くの間代行した。1918年1月、労農赤軍に入隊し、5月~6月の間、全ロシア参謀総長を務めた。反ソ組織民族センター(ロシア語: Национальный центр)とその軍事組織モスクワ地区義勇軍本部(ロシア語: Штаб Добровольческой армии Московского района)の創設に関与した。1919年、組織は壊滅し、ストゴフは同年4月にチェーカーにより逮捕され、アンドロニク修道院に収監された。12月、ポーランド、その後、南ロシアに逃亡した。 白軍1919年秋から南ロシア軍に入隊し、総司令官本部附属の予備役となった。1920年2月~5月、クバン軍参謀長。5月末からセヴァストポリ要塞警備司令兼軍後方地区・ケルチ半島司令官。 クリミアからの撤収後、ユーゴスラビアのゼムンで数年間過ごした。1924年からパリに移り、工場で働いた。1928年からロシア全軍連合副軍事官房長、1930年から軍事官房長。1934年9月からロシア全軍連合第1課参謀本部将校協会地区理事長、同年12月からゲオルギー勲章所持者連合副議長。1934年から在パリ参謀本部将校協会会長。 1948年から親衛部隊運営委員会議長を務める。 参考資料
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