ドン・シンプソン
ドン・シンプソン(Don Simpson, 本名: ドナルド・クラレンス・シンプソン、Donald Clarence Simpson、1943年10月29日 - 1996年1月19日)は、アメリカ合衆国の映画プロデューサー、脚本家である。 人物1980年代にパラマウント映画で盟友ジェリー・ブラッカイマーとともに『フラッシュダンス』『ビバリーヒルズ・コップ』『トップガン』などの映画を製作し世界的に大ヒットさせた。 彼らの製作した映画の収益は非常に大きかったため、1985年と1988年にはブラッカイマーとともに全米劇場経営者協会(National Association of Theater Owners)の「プロデューサー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したほか、アカデミー賞やゴールデングローブ賞にも多数ノミネートされた。またサウンドトラックにはジョルジオ・モロダーやケニー・ロギンスなどのミュージシャン、1990年代にはヒップホップのミュージシャンなどその時々の流行音楽を起用してヒットさせ、グラミー賞にも何度もノミネートされた。 生涯アメリカ合衆国ワシントン州シアトル市に生まれ、アラスカ準州(後のアラスカ州)アンカレッジで育った。ウェスト・アンカレッジ高校卒業後、オレゴン大学に学び、卒業後はハリウッドの映画会社の道に進んだ。抑圧された子供時代、彼は『地上最大のショウ』を見て映画業界で働こうと決めたという。 ワーナー・ブラザースを経てパラマウント映画に入った彼はマーケティング担当重役へと昇格した。同社の『アメリカン・ジゴロ』(1980年)で製作を務めたジェリー・ブラッカイマーとともに映画プロデュースを手掛け、『フラッシュダンス』(1983年)を大ヒットに導いたのを皮切りに、『ビバリーヒルズ・コップ』(1984年)・『トップガン』(1986年)・『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987年)などのヒット映画を多数放ち、1980年代を代表する映画プロデューサーとなった。 一方で私生活は派手であり、ハリウッドや音楽業界などの有名人を招いたパーティーを開き、付き合う女性を頻繁に変え、整形手術を行い、ドラッグに大量の金を使った。そのスキャンダラスな生活ぶりは、後に様々な書籍や関係者の証言で広く伝わることとなった。 シンプソンはやがてパラマウントの重役を外され、1991年、シンプソンとブラッカイマーはパラマウントからウォルト・ディズニー・スタジオへ移った。1990年代前半には彼らは映画製作を行っていない。1994年から映画製作を再開し『バッドボーイズ』などそれなりにヒットを放ったが、シンプソンのドラッグ乱用に愛想を尽かしたブラッカイマーから絶縁された。その直後の1996年1月、シンプソンはロサンゼルスの自宅で死体で発見された。死因はドラッグ乱用から来る心臓麻痺であった。ブラッカイマーは最後の共同製作作品となった『ザ・ロック』(1996年)のラストに、「この映画をドン・シンプソンの思い出に捧ぐ」とクレジットしている。 フィルモグラフィ
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