ドメニコ・グイディ
ドメニコ・グイディ(Domenico Guidi、1625年6月6日 - 1701年3月28日)は、17世紀イタリアの彫刻家である。 略歴現在のトスカーナ州マッサ=カッラーラ県のトラーノ(Torano)で生まれた。叔父には彫刻家のジュリアーノ・フィネリ(Giuliano Finelli: 1601–1653)がいる。叔父はこの時代を代表する建築家、彫刻家のジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)の工房で働いていたが、仕事の配分を巡ってベルニーニと対立し、ベルニーニのもとを離れた人物である。1639年にドメニコ・グイディはナポリで働いた叔父のもとに移った。 1647年にナポリで起きたマザニエッロの一揆の後、1648年にローマに移り、ベルニーニと競った建築家アレッサンドロ・アルガルディ(1598-1654)の工房で働き、彫刻家のエルコール・フェラッタ(Ercole Ferrata: 1610-1686)とさまざまな仕事をした。 1651年にローマのアカデミア・ディ・サン・ルカの会員となり、1670年と1675年には同アカデミーの会長(principe)を務めた。1654年にアルガルディが亡くなると、自らの工房を開いた。 代表作にはローマ、ナヴォーナ広場のサンタンニェーゼ・イン・アゴーネ教会(Chiesa di Sant'Agnese in Agone)の聖家族の彫刻やサン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ大聖堂(Basilica di San Giovanni Battista dei Fiorentini)の装飾彫刻などがある。 エルコール・フェラッタとともにイタリア国外の建築のための装飾も制作し、現在のヴロツワフの聖堂の彫像や、ヴェルサイユ宮殿の噴水の装飾彫刻、マドリードのエル・エスコリアル修道院の十字架のキリスト像も制作した。 1625年にローマで亡くなった。弟子にはヴィンチェンツォ・フェリーチ(Vincenzo Felici:1657–1715)がいる。 作品
参考文献
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