ドゥガルド・クリスティー
ドゥガルド・クリスティー(Dugald Christie、中国語: 司督閣、1855年11月11日 - 1936年12月2日)は、イギリス・スコットランド出身の医師・キリスト教宣教師で、19世紀後半から20世紀前半にかけて中国東北部の営口と瀋陽で医療伝道を行ない、彼が建てた病院は中国医科大学の一部になっている。 彼の自伝『奉天三十年』は矢内原忠雄訳で日本でも広く知られている[1]。 生涯・人物ドゥガルド・クリスティーは1855年にスコットランドに生まれ、エディンバラで医学を学んだ。1882年にエディンバラ医療宣教会から中国・満州へ派遣されて、初めは牛荘港(現在の営口)で医療伝道を行ない、後に奉天(現在の瀋陽)に移り、ここで病院を建てて、この病院はその後中国医科大学に発展した。1900年からはスコットランド自由教会からの派遣になっている。1923年に帰国し、1936年にエディンバラで亡くなった[2][3][4]。 著書
脚注関連項目 |