ドイツ=ハノーファー党
ドイツ=ハノーファー党(ドイツ語: Deutsch-Hannoversche Partei、略称DHP)は、かつて存在したドイツの政党。 党史1866年の普墺戦争の結果、ハノーファー王国がプロイセン王国に併合された。それに抗議してハノーファー王国とヴェルフ王室(ハノーファー家)を再興するための政党として1869年にドイツ=ハノーファー党が結党された[1][2]。ハノーファーの王室の名前から「ヴェルフ党」とも呼ばれる[2]。 旧ハノーファー王国の貴族、農民、都市部の中産階級などから支持される保守的な連邦主義の政党でプロイセン・ハノーファー県の地域政党ともいうべき小政党となった[1]。 当初はハノーファー王国再建のためにかなり攻撃的な要求をしたため、1878年8月頃にドイツ帝国・プロイセン王国首相オットー・フォン・ビスマルクは党の禁止を検討したが、その後穏健化した[1]。 第一次世界大戦後にドイツが共和政になった後もハノーファー県のプロイセン州からの独立の国民投票を目指したが、そのための1924年5月の事前投票でハノーファー住民の4分の1しか国民投票を支持しなかったため挫折した[1]。 国家社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP) の政権掌握後の1933年7月1日に自主解散に追い込まれた[1]。 第二次世界大戦後、ニーダーザクセン州の地域政党という後継政党的な党としてドイツ党が創設された。 選挙結果帝国議会帝政期の帝国議会(Reichstag)におけるドイツ=ハノーファー党の党勢。
国民議会・国会ヴァイマル共和政期からナチス政権期の国民議会(Nationalversammlung、1919年時のみの議会名称)および国会(Reichstag)におけるドイツ=ハノーファー党の党勢。
脚注注釈
出典
参考文献
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