トンチャイ・メーキンタイ
トンチャイ・メーキンタイ(タイ語: ธงไชย แมคอินไตย์、英語: Thongchai McIntyre、本名 アルバート・トンチャイ・メーキンタイ、1958年12月8日 - )は、タイの男性歌手・俳優。通常ピー・バード(พี่เบิร์ด/P’Bird)の愛称で呼ばれるタイの国民的スーパースター。 概要トンチャイ・メーキンタイの、トンチャイは勝利を表す三角旗という意味[1]。メーキンタイはスコットランド英語の姓McIntyr(マッキンタイア)をタイ語読みしたものであり、マッキンタイやメッキンタイと表記されることもある。またバード(Bird เบิร์ด)という愛称を持ち、バード・メーキンタイ、バード・トンチャイ、ピ・バード(Pi Bird、P'Birdพี่เบิร์ด:バードお兄さんの意)などとも呼ばれる。特にルークトゥンとストリングという2つのタイ音楽ジャンルで知られている。ルークトゥン(ลูกทุ่ง 英:Loog thoong)は20世紀前半に発展した田舎出身の貧しい人々の生活などを歌い上げる伝統歌謡であり[2] [3]、ストリング(英:String)は1960年代頃に始まったタイ・ポップである。歌手活動のほか、映画、テレビ、ミュージカル、コマーシャルにも数多く出演している。 経歴トンチャイは1958年にバンコクで10人兄弟(兄5人姉3人弟1人)の9番目として生まれたが、後に兄1人と弟を失っている。タイでは欧米系白人とタイ人の子どもはルーク・クルング (ลูกครึ่ง)と呼ばれ、父ジェームズはスコットランド系ルーク・クルングであった。母ウドムはマレーシア人。大家族の上に父親が事業に失敗したため、バーンケーのスラムに住まなければならなかったが、音楽好き一家で貧しくとも音楽にあふれる楽しい家庭で育った。父親はトンチャイが幼い頃に亡くなった。 トンブリー商業大学(Thonburi Commercial College)を卒業後、カシコーン銀行(タイ農民銀行)で働きながらモデルの仕事をしていた時に、有名なテレビプロデューサー、カイ・ウラーユス(Kai Varayuth)の目に留まりスカウトされた。1983年トンチャイは銀行に勤務しながらチャンネル3のテレビ番組シリーズ『ナム・ターン・マイ (น้ำตาลไหม้)』(燃える砂糖)に出演した。この初めてのテレビ出演で才能が認められ、すぐにテレビや映画やラジオの出演も含めた様々な仕事が舞い込むようになった。 同年トンチャイは有名な歌謡コンテスト、サイヤム・コンラカーン・ミュージック・ファウンデーション(Siam Kolkarn Music Foundation)に出場し、最高歌手賞など三つの賞を受賞した。コンテスト会場にゲストとして招かれていた有名歌手テー・レーワット・プティナン(เต๋อ เรวัต พุทธินันท์)は、トンチャイの歌唱力を買い、アルバムを作製するよう促した。1985年トンチャイは27歳でデビューアルバム『ハート・サーイ・サーイ・ロム・ソン・ラオ』(砂浜、風、僕たち二人)をリリースし成功した。以来トンチャイはタイ・ポップミュージック界の代表者として君臨し続け、人気は衰えていない。21世紀に入ってからもほぼ毎年アルバムをリリースしており、コンサートのチケットは常に完売する。 歌手活動曲で最も有名なものは、『プリック・キーヌー』(唐辛子)、『ブーメラン』、『サバーイ・サバーイ』 (リラックス・リラックス)、『コープ・ヂャイ・チンチンขอบใจจริงๆ(本当にありがとう)』などである。近年リリースされたルークトゥンのシングルでは、2001年発売のアルバム『スマイルクラブ』に収録されている『ラオ・スー・ガン・ファンเล่าสู่กันฟัง(話して聞かせて)』、2002年のアルバム『チュット・ラップ・ケーク』に収録された女性歌手チンタラー・プーンラープ จินตหรา พูนลาภ)とのデュエット『マー・タムマイมาทำไม(どうして来たの?)』、イーサーン語で歌うチンタラー、南タイ語で歌うナット・ミリア(Nat Myria Benedetti)、北タイ語で歌うカトリーヤ・イングリッシュ(英:Katreeya English แคทลียา อิงลิช)[4]の3人をゲストに中部タイ語(標準語)のトンチャイが歌った『フェーン・ジャー แฟนจ๋า(ねぇ、愛しい人)』がある。2005年発売のアルバム『Volume 1』に収められた『ヤーク・ターム・ゴー・ヤーク・トープอยากถามก็ตอบ(尋ねたいなら答えてあげる)』と『マイ・ケーン・イン・ペーไม่แข่งยิ่งแพ้ (戦わなければさらに負ける)』もヒットした。 2007年11月、『Simply Bird』発売。同年12月『ポー・ソー 2501』を発売。 2011年、東日本大震災被災・復興へのメッセージソング「明日のために」を発表(一部日本語)。 歌手デビュー25周年を迎えた2012年には BBB(Babb Bird Bird)と呼ばれる通常のコンサートとは異なる最大規模のコンサート「วันของเรายังYoungอยู่」が11月末、2008年以来4年ぶり10回目として開催された。 2013年2月、北海道札幌で開催された第64回「さっぽろ雪まつり」に日・タイ友好親善大使として公式訪問。 同年11月28日は 日・Asean友好協力事業「日・Asean音楽祭〜災害復興への祈り〜」にタイ代表として出演。 2019年8月の「Singing Bird concert#1」以降、コロナ禍でコンサートの開催ができずにいたが2022年11月、バンコク郊外ノンタブリーにあるインパクトアリーナで3年ぶりに「Singing Bird #2~Lifetime soundtrack concert」を開催する予定。コンサートの開催発表と同時に、「アサ―サヌック」以来12年ぶりにコラボアルバムではないトンチャイのオリジナルアルバム「BIRD22」が7月22日に発売された。 2022年に歌手デビュー36周年を迎えた今も精力的に活動を続けている。 俳優映画やテレビドラマ・シリーズに数多く出演しているトンチャイだが、最も特筆すべきは第二次世界大戦中のタイが舞台の悲劇恋愛小説を基にした作品『クーガム (คู่กรรม)』(邦題『メナムの残照』、英題:Sunset at Chaophraya)であろう。トンチャイは1990年に放送された全26話のテレビドラマで日本海軍大尉小堀を演じ、タイチャンネル7で金曜日から日曜日の21:00-22:00に放送される。当時の視聴率は40%を超え、週末には町から人が消えるという社会現象を起こすほどの人気を博した。このドラマのヒットによりタイ人が日本人に好印象を持つようになり、タイが現在のような親日国になるきっかけを作った。1996年公開の映画でも小堀を演じている。映画は同年の大ヒット作品のひとつで、タイ映画としては初めて国外へのホーム・ビデオ配給となり、1998年に英語の字幕つきのVHS形式で販売された。2004年公開の『2046』には自身(バード)の役で一瞬登場する。 トンチャイはタイに進出している日本企業の現地放映コマーシャルにも起用されている。1987年から89年まで富士フイルム、1990年にパナソニック、2005年にホンダ、2006年にキリンビバレッジ(生茶)のコマーシャルに出演している。 2015年4月、タイ地上波最大手のBECが史上最大級の予算をかけ制作した連続ドラマ「ゴン キモノ(กลกิโมโน:邦題「きもの秘伝」)の主役である鶴の神・星の皇子として17年ぶりに俳優活動を復活。海外ロケ地として九州の観光地(福岡・佐賀・長崎・熊本)が選ばれ、2014年春より1年をかけて撮影をされた。放送後は北九州の河内藤園や佐賀の祐徳稲荷等のロケ地巡りに九州を訪れるタイ人観光客が急増するなどの影響を与えた。 私生活タイの仏教では男性は一生に一度は出家することが望ましいとされており、仏教徒のトンチャイも1997年末から1998年はじめにかけて短期間出家した[5]。 タイの最大レーベルであるGMMグラムミー社(G"MM' Grammy จีเอ็มเอ็ม แกรมมี่)の社長、パイブーン・ダムロンチャイタム(Paiboon Damrongchaitham)と親しいトンチャイは、同社の重役を務め、自社株を大量に保有している。 ディスコグラフィーアルバム(*印はジョイント・アルバム)
受賞歴
脚注
関連項目参考サイト |