トリーア大聖堂座標: 北緯49度45分22秒 東経6度38分35秒 / 北緯49.75611度 東経6.64306度 トリーア大聖堂(トリーアだいせいどう、Trierer Dom, 聖ペテロ大聖堂[1])はトリーアの司教座聖堂で、ドイツ最古の大聖堂である。建造物の顕著な特色は、非常に長い年月の間、様々な時代に様々な様式で追加が行われてきたことにある。その中には、聖ヘレナ(Saint Helen)の指示で置かれた古代ローマ時代のレンガでできた中央の礼拝堂も含まれている。様々な様式の混成は、後の時代の建築様式で修復された結果というよりも、付け足されていった結果である。高さ 112.5 m、幅 41 m は、トリーアにある教会建築の中で最大である。1986年には、他の遺跡群とともに、「トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂」としてユネスコの世界遺産に登録された。 歴史建物は、トリーアがまだアウグスタ・テレウェロルムと呼ばれていた古代ローマ時代の建造物の土台の上に建てられた。コンスタンティヌス帝が改宗したことに続いて、トリーア司教のマクシミヌス(Maximinus; Maximin of Trier, 在職329年 - 346年)は、この「第二のローマ」に、壮麗な教会建造物群を建てることに力を尽くした。 4世紀当時の建造物は、フランク族によって廃墟になった後、6世紀に再建された[2]。しかし、それも882年にノルマン人によって破壊された。10世紀末以降大聖堂は再び建てなおされた。西内陣(Westchor)は大司教ポツポ(Poppo;在位1016年 -1047年)の時代に、東内陣(Ostchor)は大司教ヒリン(Hillin;在位1152年 -1169年)の時代に、東側の尖塔(Spitzhelme)は1893年に建造された[3]。五つの対称形の区画になっている西側正面は、ザリエル朝時代のロマネスク様式の典型をとどめている。後陣の半筒形とともに、西端の聖歌隊席は1196年に完成したものである。ゴシック様式のヴォールトを持つロマネスク様式の3つの身廊は優れた内装で飾られている。礼拝堂にはイエスが40日の断食の間着用していた「聖衣」(Tunica Christi; de: Heiliger Rock;Seamless robe of Jesus)とされる聖遺物が納められている[4]。中世ドイツにおいてこの「聖衣」制作とそれがトリーアにもたらされた経緯を物語る文学作品『オレンデル』〔Orendel(Der graue Rock)〕が作られた[5]。 大司教エグベルト(Egbert;在位977年 -993年)が一流の芸術家を集めてつくった工房(Egbertwerkstatt)からは、見事な移動祭壇(Tragaltar)等が制作され、その一部は今日トリーア大聖堂宝物館に所蔵されている[6]。 グリム兄弟 『ドイツ伝説集』第3巻、第61a話「トリーア大聖堂」には次のような伝説が記されている。建築士はこの巨大な建築物を作るに際し、娼家と賽子賭博の卓を造ると言って悪魔を騙して手伝わせた。悪魔は騙されたことが分かると、祭壇に飛びかかり蹴爪を折った。その証拠に、祭壇の表面は平らではなく傾いているし、壁には角笛のようなものがあるが、それは悪魔の蹴爪と呼ばれていると[7]。 脚注
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