トマス・ホランド (第2代ケント伯)
第2代ケント伯爵トマス・ホランド(Thomas Holland, 2nd Earl of Kent,KG、1350年 - 1397年4月25日)は、イングランド王国の貴族。異父弟のイングランド王リチャード2世の顧問官をつとめた。 生涯トマス・ホランドは1350年にランカシャーのアップホランドで生まれた[1]。初代ケント伯トマス・ホランドと「フェア・メイド・オブ・ケント」ジョーンの長男である[2]。母ジョーンは初代ケント伯爵エドマンド・オブ・ウッドストックとマーガレット・ウェイクの娘だった。エドマンドはイングランド王エドワード1世とその2番目の王妃マーガレット・オブ・フランスの息子であり、イングランド王エドワード2世の異母弟にあたる。 父トマスが1360年に亡くなり、同年12月28日にトマスはホランド男爵位を継承した。母ジョーンは自身の権利として依然としてケント女伯の地位にあり、1361年にエドワード3世の息子エドワード黒太子と結婚した。 1366年、16歳のときにトマスはアキテーヌのイングランド軍の指揮官に任命された[2]。その後10年間、彼は継父のエドワード黒太子の指揮の下、ナヘラの戦いを含むさまざまな戦役に参加した。1375年にガーター勲章を授与された[2]。 1377年にリチャード2世が国王となり、ホランドはすぐに異父弟に対して大きな影響力を獲得し、それを自分の富のために利用した。1381年、ケント伯位を継承した[2]。 トマスは死去する前にキャリスブルック城総督に任命された[2]。トマスは1397年4月25日にアランデル城で亡くなった[3]。 爵位
結婚と子女1364年4月10日、トマスはアリス・フィッツアラン(第10代アランデル伯爵リチャード・フィッツアランの娘)と結婚し、4男6女をもうけた[6]。息子たちは全員嫡子を残さずに亡くなったため、娘たちとその子供たちはホランド家の共同相続人となった。娘たちの結婚により、トマスは薔薇戦争で重要な役割を果たした多くの人物の祖先となった。その中には、第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット(エドワード4世とリチャード3世の父)、ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)、王妃アン・ネヴィルの父「キングメーカー」ウォリック伯リチャード・ネヴィルなどがいる。また、ヘンリー8世の6番目で最後の妻である王妃キャサリン・パーの祖先でもある。
脚注
参考文献
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