第2代ド・グレイ伯爵
第2代ド・グレイ伯爵 トマス・フィリップ・ド・グレイ (英語 : Thomas Philip de Grey, 2nd Earl de Grey KG PC FRS FSA 、出生名トマス・フィリップ・ロビンソン (Thomas Philip Robinson )、1781年 12月8日 – 1859年 11月14日 )は、イギリス の貴族、政治家。保守党 に所属し、海軍卿 (英語版 ) (在任:1834年 – 1835年)、アイルランド総督 (在任:1841年 – 1844年)を歴任した[ 1] 。
生涯
第2代グランサム男爵トマス・ロビンソン と妻メアリー(Mary 、旧姓ヨーク(Yorke )、第2代ハードウィック伯爵フィリップ・ヨーク の娘)の息子として、1781年12月8日にホワイトホール で生まれた[ 2] 。1786年7月20日に父が死去すると、グランサム男爵 位とトップクリフ (英語版 ) の地所を継承した[ 2] [ 3] 。1792年1月31日に祖父の兄の息子にあたる第5代準男爵サー・ノートン・ロビンソン が死去すると、準男爵 位を継承した[ 2] 。1798年6月6日にケンブリッジ大学 セント・ジョンズ・カレッジ に入学、1801年にM.A. の学位を修得した[ 3] 。1803年5月7日、国王の認可状を受けて姓をウェデル(Weddell )に変えた[ 2] [ 3] 。1806年11月13日、ロンドン考古協会 フェローに選出された[ 2] 。
1818年3月17日から1859年に死去するまでベッドフォードシャー統監 (英語版 ) を務めた[ 4] 。1831年から1837年まで国王ウィリアム4世 の、1837年から1859年までヴィクトリア女王 のヨーマンリー・エー=ド=カン (英語版 ) (Yeomanry Aide-de-Camp )を務めた[ 2] [ 3] 。
1833年5月4日に母の姉にあたる初代ド・グレイ女伯爵アマベル・ヒューム=キャンベル が死去すると、ド・グレイ伯爵 位の特別残余権(special remainder )に基づき爵位を継承、同年6月23日に国王の認可状を受けて姓をド・グレイに変えた[ 2] 。
1834年に英国建築家協会 が設立されると初代会長に就任、1859年に死去するまで務めた[ 1] 。
政治ではカトリック解放 に賛成、1820年にホイッグ党 に同調して、ジョージ4世 妃キャロライン・オブ・ブランズウィック に対する1820年刑罰法案 (英語版 ) に反対票を投じた[ 2] 。『完全貴族名鑑 』では保守党 所属[ 2] 、『オックスフォード英国人名事典 』ではトーリー党 穏健派所属とされる[ 5] 。
第1次ピール内閣 では1834年12月22日から1835年4月25日まで海軍卿 (英語版 ) を務め、1834年12月29日に枢密顧問官 に任命された[ 1] 。
1841年4月29日、王立協会フェロー に選出された[ 6] 。第2次ピール内閣 (英語版 ) では1841年9月3日から1844年7月26日までアイルランド総督 を務め、アイルランドからイングランドに戻った後の1844年12月12日にガーター勲章 を授与された[ 2] 。アイルランド総督としてはそれまでの経歴と比べてはるかに保守的であり、カトリック教徒の官職任命を渋り、政策の多くをリピール協会 (英語版 ) への譲歩であると嘆いた[ 5] [ 7] 。自由主義的なアイルランド担当大臣 (英語版 ) のエリオット卿エドワード・エリオット (英語版 ) とも口論し[ 5] 、1842年12月には首相ロバート・ピール が手紙で「現行の制度ではアイルランドを十分に統治できない決定的な証明」(decisive proof that the government of Ireland cannot be satisfactorily administered under the present constitution )がすぐにでも現れるだろうとの恐れを綴った[ 7] 。ピールは1844年2月にもド・グレイ伯爵夫人に手紙を書き、ド・グレイ伯爵をなだめさせようとしたが、これも失敗に終わっている[ 7] 。そして、ド・グレイは健康上の理由により1844年にアイルランド総督を辞任、以降政治への関わりが少なくなった[ 5] 。
1846年、穀物法 廃止に賛成票を投じた[ 2] 。
1859年11月14日にセント・ジェームズ・スクエア (英語版 ) 4号で死去した[ 6] 。息子に先立たれたため、ルーカス男爵 位は長女アン・フローレンス が継承した[ 2] 。それ以外の爵位は男子しか継承できず、弟フレデリック・ジョン・ロビンソン の息子ジョージ・ロビンソン が継承した[ 2] 。
著作
チャールズ・ルーカス (英語版 ) 伝(1845年[ 5] )
Characteristics of the Duke of Wellington apart from his Military Talents (1853年[ 5] )
家族
1805年7月20日、ヘンリエッタ・フランシス・コール (英語版 ) (1784年6月22日 – 1848年7月2日、初代エニスキレン伯爵ウィリアム・ウィラビー・コール の娘)と結婚[ 2] 、1男2女をもうけた。
アン・フローレンス (1806年 – 1880年) - 1833年10月7日、第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパー (英語版 ) と結婚、子供あり[ 8]
フレデリック・ウィリアム(1811年ごろ – 1831年2月6日[ 2] )
メアリー・ガートルード(Mary Gertrude 、1892年7月11日没) - 1832年7月6日、ヘンリー・ヴィナー(Henry Vyner 、ロバート・ヴィナーの息子)と結婚[ 9]
出典
^ a b c Boase, George Clement (1890). "Grey, Thomas Philip de" . In Stephen, Leslie ; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 23. London: Smith, Elder & Co . p. 208.
^ a b c d e f g h i j k l m n o Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary ; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 117.
^ a b c d "Grantham, Lord Thomas Philip. (GRNN798TP)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
^ a b c d e f Boase, George Clement ; Matthew, H. C. G. (21 May 2009) [23 September 2004]. "Grey, Thomas Philip de [formerly Thomas Philip Robinson; Thomas Philip Weddell], second Earl De Grey". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/11565 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ a b "Grey; Thomas Philip De (1781 - 1859); 2nd Earl De Grey" . Record (英語). The Royal Society . 2021年6月18日閲覧 。
^ a b c Geoghegan, Patrick M. (2009). "Conway, Francis (Ingram) Seymour-". In McGuire, James; Quinn, James (eds.). Dictionary of Irish Biography (英語). United Kingdom: Cambridge University Press. doi :10.3318/dib.002462.v1 。
^ Farrell, Stephen (2009). "COWPER, George Augustus Frederick, Visct. Fordwich (1806-1856), of Panshanger, Hertingfordbury, Herts." . In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年6月18日閲覧 。
^ Burke, Sir Bernard ; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1697.
外部リンク