トマス・コリヤー (第4代ポートモア伯爵)第4代ポートモア伯爵トマス・チャールズ・コリヤー(英語: Thomas Charles Colyear, 4th Earl of Portmore、1772年3月27日 – 1835年1月18日)は、イギリスの政治家、スコットランド貴族。1796年から1802年まで庶民院議員を務めた[1]。 生涯第3代ポートモア伯爵ウィリアム・チャールズ・コリヤーと妻メアリー(Mary、旧姓レズリー(Leslie)、1753年8月29日 – 1799年3月21日、第10代ロシズ伯爵ジョン・レズリーの娘)の長男として、1772年3月27日に生まれ、30日にセント・メリルボーンで洗礼を受けた[2][3]。 1795年から1835年に死去するまでノース・リンカンシャー民兵隊隊長を務めた[1]。 1796年イギリス総選挙で妻の父にあたる第5代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ブラウンロー・バーティーの支持を受けて、公爵が1議席を掌握していたボストン選挙区から出馬、251票(得票数2位)で当選した[4]。公爵の影響力は次の総選挙である1802年イギリス総選挙のときには失われた[4]。 議会では1798年1月に小ピットの所得税法案に賛成票を投じ、演説や野党に同調した投票の記録はなかった[1]。1802年イギリス総選挙に出馬せず、議員を退任した[1]。 1823年11月15日に父が死去すると、ポートモア伯爵位を継承した[2][3]。 1835年1月18日に大陸ヨーロッパで死去した[2]。息子ブラウンロー・チャールズに先立たれたため、後継者がおらず爵位は廃絶した[2][3]。 家族1793年5月26日、メアリー・エリザベス・バーティー(Mary Elizabeth Bertie、1771年7月24日 – 1797年2月10日、第5代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ブラウンロー・バーティーの娘)と結婚、1男をもうけた[3]。
1828年9月6日、フランシス・マレルズ(Frances Murrells、1777年ごろ – 1845年3月21日、ウィリアム・マレルズの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[2][3]。 出典
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