デキムス・ユニウス・ペラ
デキムス・ユニウス・ペラ(ラテン語: Decimus Iunius Pera、生没年不詳)は共和政ローマのプレブス(平民)出身の政治家・軍人。紀元前266年に執政官(コンスル)、紀元前253年に監察官(ケンソル)を務めた。 経歴ペラは紀元前266年に執政官に就任するが、それ以前の経歴は不明である。同僚執政官はヌメリウス・ファビウス・ピクトルであった。両執政官はサルシナに対して勝利して凱旋式を実施し、さらにはメサッピア(en)に対する勝利のために任期中に2度目の凱旋式を実施している[1]。 紀元前264年に父が死去すると、ペラとその兄弟のマルクスは、父の追憶のためにローマでは最初の剣闘士闘技会を開催している[2][3]。4世紀の帝政ローマの詩人アウソニウスは、トラキア人あるいはトラキア闘士が戦ったとしているが、現在の研究はこれを疑っている[4][5]。 紀元前253年に監察官に就任。同僚監察官はルキウス・ポストゥミウス・メゲッルスであった。メゲッルスは任期中に死亡したが、ペラもこれを不吉として辞職している[6]。 一族父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はデキムスである[6]。但し、父はデキムス・ユニウス・ブルトゥス・ペラであり、コグノーメンの「ブルトゥス」と「ベラ」のうち、「ペラ」だけを受け継いだ。 息子に紀元前230年の執政官、紀元前225年の監察官、紀元前216年の独裁官(ディクタトル)を務めたマルクス・ユニウス・ペラがいる。 参考資料参考資料
関連項目
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