デイヴィッド・カーネギー (初代サウスエスク伯爵)初代サウスエスク伯爵デイヴィッド・カーネギー(英語: David Carnegie, 1st Earl of Southesk PC、1575年 – 1658年2月)は、スコットランド貴族。弟に初代ノースエスク伯爵ジョン・カーネギーがいる。 生涯デイヴィッド・カーネギー(1598年4月9日没)と2人目の妻ユフィーム・ウィームズ(Eupheme Wemyss)の長男として、1575年に生まれ[1]、1598年に父の領地を継承した後、1601年から1603年まで大陸ヨーロッパを旅した[2]。 1603年にスコットランド王ジェームズ6世がイングランド王に即位するとき、王妃アン・オブ・デンマークに同伴してイングランドに向かった[3]。1609年、セント・アンドルーズ大学を改革するための理事に任命された[2]。 ジェームズ6世の宗教政策を支持したため[3]、1616年4月14日にキンナードのカーネギー卿に叙され[1]、1633年6月22日にチャールズ1世がホリールード寺院で戴冠したとき[2]、サウスエスク伯爵に叙された[1]。 チャールズ1世とカヴェナンターの紛争(主教戦争)では最初はチャールズ1世を支持、1641年にチャールズ1世よりスコットランド枢密院の枢密顧問官に任命されたが、カヴェナンターが最終的に勝利を収めるとその軍門に下った[2]。その後、1654年のクロムウェル恩赦法により、3000ポンドの罰金を処された[3]。 1658年2月に死去、長男に先立たれたため次男ジェームズが爵位を継承した[1]。 家族1595年10月8日、マーガレット・リンジー(Margaret Lindsay、1614年7月9日没、サー・デイヴィッド・リンジーの娘)と結婚、4男6女を儲けた[1]。
脚注
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