テオグニスメガラのテオグニス(古希: Θέογνις Theognis 紀元前6世紀ごろ)は、古代ギリシア・アルカイック期の詩人。教訓詩を多く詠み、後世のギリシア文学に度々引用された。代表作に「人間にとって最善なのは初めから生まれないこと、次に善いのは早く死ぬこと」という厭世主義の詩があり[1][2][3]、反出生主義の先駆者とも言われる[4]。ニーチェが古典学者だった頃に研究対象としたことでも知られる[3]。 人物人物像は不明な点が多く、学者間で見解が異なることもある[5]。 活動時期は、前600年ごろ[5]、前540年ごろ[6]など諸説ある。 出身地はメガラであり「メガラのテオグニス」と呼ばれる[5]。しかしこれがギリシア本土のメガラなのか、その植民都市のシケリアのメガラなのか、古代から諸説ある[5]。 アルカイック期のメガラでは、僭主テアゲネスに象徴される階級秩序の解体が進んでいた。貴族階級に属していたテオグニスは、階級間の政争によりメガラを追われ放浪した[6]。このような経歴から、テオグニスの詩には、当時の貴族の価値観、混沌とした世間への絶望感が反映されている[1]。 詩の多くは、少年愛の相手である少年キュルノスに宛てられている(呼格)。このキュルノスは、詩作のための架空の人物と解釈されることが多い[7]。 作品・受容詩の韻律は全て「エレゲイア詩形」であり、他の詩人含む現存する全エレゲイアの最大量を占めることから、代表的なエレゲイア詩人とされる[1]。 当時の詩人では珍しく、まとまった詩集、通称『エレゲイア詩集』が現存している。詩は篇でなく行で数えられ、総計1389行からなる[8]。この詩集は写本の形で中世ビザンツを経て、ルネサンス期の1543年に最初の刊本が出た[8]。しかしながら、他人の詩が多く混入しており、しかも真贋の判別は困難とされる[5]。 後世のギリシアでは、主に饗宴の際、集団の価値観の確認や少年への教訓を目的として、テオグニスの詩が朗誦された[1]。またプラトン、アリストテレス、イソクラテス、プルタルコスなど、様々なギリシア古典でテオグニスが引用・言及されている[9]。詩集に無く引用でのみ伝わる詩もある[5]。ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』によれば、アンティステネスにはテオグニスについての著作があったが、現存しない。 19世紀には、ドイツの古典文献学者ヴェルカーが研究を開拓した。これを受けて後述のニーチェも研究した。またチャールズ・ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』で、性淘汰を論じた先駆者として言及した[10][11]。 パピルス断片も発見されている。 厭世主義テオグニスの代表作として、以下の厭世的な死生観を説く詩がある[1][2][3]。 この詩は『エレゲイア詩集』だけでなく、セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義哲学の概要』3巻231節やストバイオスの引用によっても伝わる[12]。 同様の死生観はテオグニスだけでなく、アリストテレス『エウデモス』断片所引の諺[13]、ソポクレス『コロノスのオイディプス』1224-1228行[1]、バッキュリデス『祝勝歌』5番160行[1]、喜劇作家プラトンの詩[14]などにも見られるが、古代ギリシアではテオグニスが代表格とされる[1]。 21世紀現代では、この詩は反出生主義(誕生否定)の先駆の一つとされる[4]。 ニーチェニーチェは1864年にギムナジウムを卒業する際『メガラのテオグニスについて』という古典文献学の論文をラテン語で書き、以降も複数の論文を書いた[3]。 思想的影響は一概には言えないが、『悲劇の誕生』や『ツァラトゥストラ』では、テオグニスと同様の厭世主義や賎民蔑視を説いている[15]。 日本語訳
脚注
参考文献
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