テイクオーバーターゲット (Takeover Target) はオーストラリアの競走馬。主なG1勝利は2004年のサリンジャーステークス、2006年のライトニングステークス、ニューマーケットハンデキャップ、スプリンターズステークス、2007年のドゥームベン10000、2009年TJスミスステークス、グッドウッドハンデキャップ(いずれも10歳の最高齢で優勝)の7勝した。後の国際G1になる2006年のキングズスタンドステークス(ヨーロッパ生まれの競走馬以外で初優勝)、2008年クリスフライヤーインターナショナルスプリント(当時国内G1。シンガポールの国際及び国内G1で最高齢9歳で優勝)の当時国内G1とG2で優勝した。2012年にオーストラリア競馬名誉の殿堂に選定された。
※北半球に位置する日本の競馬では、1月1日から12月31日を1シーズンとするが、南半球に位置するオーストラリアでは8月1日から翌年7月31日までを1シーズンとするため、年齢表記も8月1日で切り替わる。本馬はオーストラリアの競走馬であるので、以下、本稿での年齢表記は同国での表記に従う。よって、1月から7月の年齢については日本での表記と異なり、日本より1歳若い表記となる。
来歴
2003年/2004年 - 2004年/2005年シーズン
すでに3歳の暮れを迎えていた2003年7月18日にオーストラリア・ニューサウスウェールズ州で行われたセリ市「ウインター・サラブレッド・セール」で、馬主兼調教師のジョセフ・ジャニアック(Joseph Janiak、1947年6月13日[1] - )によって1250オーストラリア・ドル(約11万円[1])の安値で購入された[2][1]。膝の故障を抱えていた[1]ためデビューは4歳の2004年4月[1]と遅かったが、以来7連勝でG1優勝馬に登りつめた[1]。なお、その後は4連敗する。
2005年/2006年シーズン
シーズン開始後に2連敗し、前シーズンから合計で6連敗を喫する[1]が、2005年12月のG3競走に6馬身差で勝利[1]すると、2006年グローバル・スプリント・チャレンジ(以下GSC)初戦のライトニングステークス (G1) まで3連勝し[1]、G1競走2勝目を挙げ、オークレイプレートの3着[1]をはさんで、ニューマーケットハンデキャップを制しG1競走3勝目を挙げる[1]。その後は国内では走らず、イギリスに初の国外遠征を行い、GSCの第3戦・キングズスタンドステークス (G2) と第4戦・ゴールデンジュビリーステークス (G1) に中3日で出走し、その20日後にはジュライカップ (G1) にも出走し、それぞれ1着・3着・7着でイギリス遠征を終えた[1]。
2006年/2007年シーズン
GSCの総合優勝を目指し、シリーズ第5・6戦が行われる日本に遠征し、初戦となったセントウルステークスで先行してシーイズトウショウの2着になると、スプリンターズステークスではスタートして先頭に立つとそのまま逃げ切り、2着のメイショウボーラーに2馬身2分の1差で勝利し[3]、シリーズ最終戦の香港スプリントを待たず、2006年GSCの総合優勝を決めた[3][4]。
11万円という破格の安値で購入された本馬はこれまで3億円あまりを稼ぎ、出走を予定していた香港スプリントに勝利した場合、同競走の1着賞金である684万香港ドル(約1億300万円)に加え、GSCのボーナス100万アメリカドル[4](約1億1700万円)の合計約2億2000万円をさらに獲得することができたが、レース当日の薬物検査で禁止薬物である黄体ホルモン(ステロイドホルモンの一種)が検出されたため[5]、出走取消となった[5][4]。帰国後は5つのレースで走り、ドゥームベン10000を制した[6]。国内の競馬シーズンが終わるとふたたびイギリスへ遠征し、キングズスタンドステークス (G2) では4着、ゴールデンジュビリーステークス (G1) では2着となった。
2007年/2008年シーズン
帰国後は休養し、12月1日のアローフィールドスタッドスプリント、12月22日のレザーシャープクオリティハンデキャップ(準重賞)を連勝、その後ヴィリエステークス (G2) に出走し、2着となった。続く4月26日のTJスミスステークス (G1) では3着に入った。国内のシーズン終了後、ふたたび国外遠征を決行。シンガポールへ遠征し、5月18日のクリスフライヤー国際スプリントを制した。その後イギリスへ遠征し、キングズスタンドステークス (G1) は2着、ゴールデンジュビリーステークス (G1) は4着という結果だった。
2008年/2009年シーズン
帰国し、休養したのち11月29日のウインターボトムステークス (G2) に出走、ひさびさの勝利を挙げた。続く12月13日のスカヒルステークス (G3) も勝利した。休養をはさみ、年が明けて4月18日に施行されたTJスミスステークス (G1) に出走。主戦のJ.フォード騎手からN.ローウィラー騎手に乗り替わってのレースとなったが勝利を収め[7]、G1・7勝目を挙げた。続く5月2日のグッドウッドハンデキャップ (G1) では鞍上がフォードに戻って出走、ここでも勝利し[7]G1・8勝目を挙げた。その後シンガポールに遠征して、5月17日のクリスフライヤー国際スプリントに出走したが8着[7]と敗れた。7月10日にはジュライカップに出走するも7着に敗れ、レース後管骨の骨折が判明[8][7]し、そのまま現役引退となった[9]。なお、2010年に一時復帰が模索された[7]が、関節が摩耗していたために断念している。
引退後
2015年6月20日に事故の為、安楽死処分されたことが報じられた[10]。
競走成績
出走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離 |
着順 |
騎手 |
着差 |
1着(2着)馬
|
2004.04.23 |
クインビヤン |
未勝利 |
|
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
7馬身 |
(Ras Tafari)
|
2004.05.06 |
ワガワガ |
一般競走 |
|
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
7馬身 |
(Devour)
|
2004.05.19 |
ケンジントン |
一般競走 |
|
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
3馬身 |
(Bibury Court)
|
2004.06.05 |
ローズヒル |
一般競走 |
|
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
6馬身 |
(Spinjester)
|
2004.06.24 |
ゴスフォード |
ペースセッターS |
準重 |
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
3/4馬身 |
(Mustard)
|
2004.07.14 |
グラフトン |
ラモーニーH |
準重 |
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
2馬身 |
(Devil)
|
2004.10.30 |
フレミントン |
サリンジャーS |
G1 |
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
1 1/2馬身 |
(Recurring)
|
2005.04.30 |
ドゥームベン |
ブリスベンターフクラブC |
G2 |
芝1200m
|
4着 |
J.フォード |
2馬身 |
Spark of Life
|
2005.05.21 |
ドゥームベン |
ドゥームベン10000 |
G1 |
芝1350m
|
3着 |
J.フォード |
クビ |
Red Oog
|
2005.06.11 |
イーグルファーム |
ストラドブロークH |
G1 |
芝1400m
|
10着 |
J.フォード |
3 1/2馬身 |
St.Basil
|
2005.06.25 |
イーグルファーム |
カールトンドラフトS |
G3 |
芝1200m
|
2着 |
J.フォード |
アタマ |
Poetic Papal
|
2005.10.29 |
フレミントン |
サリンジャーS |
G1 |
芝1200m
|
4着 |
J.フォード |
5馬身 |
Glamour Puss
|
2005.11.05 |
フレミントン |
エイジクラシック |
G2 |
芝1200m
|
7着 |
S.アーノルド |
10馬身 |
Glamour Puss
|
2005.12.10 |
ドゥームベン |
サマーS |
G3 |
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
6馬身 |
(Picardi Run)
|
2005.12.24 |
ドゥームベン |
ドゥームベンS |
準重 |
芝1350m
|
1着 |
J.フォード |
3馬身 |
(Impaler)
|
2006.02.04 |
フレミントン |
ライトニングS |
G1 |
芝1000m
|
1着 |
J.フォード |
アタマ |
(God's Own)
|
2006.02.25 |
コーフィールド |
オークレイプレート |
G1 |
芝1100m
|
3着 |
J.フォード |
4馬身 |
Snitzel
|
2006.03.11 |
フレミントン |
ニューマーケットH |
G1 |
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
1/2馬身 |
(Snitzel)
|
2006.06.20 |
アスコット |
キングススタンドS |
G2 |
芝5f
|
1着 |
J.フォード |
ハナ |
(Benbaun)
|
2006.06.24 |
アスコット |
ゴールデンジュビリーS |
G1 |
芝6f
|
3着 |
J.フォード |
2 1/2馬身 |
Les Arcs
|
2006.07.14 |
アスコット |
ジュライC |
G1 |
芝6f
|
7着 |
J.フォード |
1 3/4馬身 |
Les Arcs
|
2006.09.10 |
中京 |
セントウルS |
G2 |
芝1200m
|
2着 |
J.フォード |
0.5秒 |
シーイズトウショウ
|
2006.10.01 |
中山 |
スプリンターズS |
G1 |
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
0.4秒 |
(メイショウボーラー)
|
2007.04.14 |
ランドウィック |
オールエイジドS |
G1 |
芝1400m
|
5着 |
J.フォード |
4 1/4馬身 |
Bentley Biscuit
|
2007.05.12 |
ドゥームベン |
BTCカップ |
G1 |
芝1200m
|
2着 |
J.フォード |
短首 |
Bentley Biscuit
|
2007.05.26 |
ドゥームベン |
ドゥームベン10000 |
G1 |
芝1350m
|
1着 |
J.フォード |
1/2馬身 |
(Gold Edition)
|
2007.06.20 |
アスコット |
キングススタンドS |
G2 |
芝5f
|
4着 |
J.フォード |
2 1/2馬身 |
Miss Andretti
|
2007.06.24 |
アスコット |
ゴールデンジュビリーS |
G1 |
芝6f
|
2着 |
J.フォード |
アタマ |
Soldier's Tale
|
2007.12.01 |
ランドウィック |
アローフィールドスタッドスプリント |
|
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
アタマ |
(Dance Hero)
|
2007.12.22 |
ランドウィック |
レザーシャープクオリティ |
準重 |
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
ハナ |
(Alverta)
|
2008.01.05 |
ランドウィック |
ヴィリエS |
G2 |
芝1200m
|
2着 |
J.フォード |
1位入選降着 |
Honor in War
|
2008.04.26 |
ランドウィック |
TJスミスS |
G1 |
芝1200m
|
3着 |
J.フォード |
2 3/4馬身 |
Apache Cat
|
2008.05.18 |
クランジ |
クリスフライヤーインターナショナルスプリント |
|
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
1/2馬身 |
(Magnus)
|
2008.06.21 |
アスコット |
キングススタンドS |
G1 |
芝5f
|
2着 |
J.フォード |
1/2馬身 |
Equiano
|
2008.06.24 |
アスコット |
ゴールデンジュビリーS |
G1 |
芝6f
|
4着 |
J.フォード |
4 1/4馬身 |
Kingsgate Native
|
2008.11.29 |
豪アスコット |
ウィンターボトムS |
G2 |
芝1200
|
1着 |
J.フォード |
ハナ |
(Apache Cat)
|
2008.12.13 |
豪アスコット |
スカヒルS |
G3 |
芝1400m
|
1着 |
J.フォード |
3 3/4馬身 |
(Tarzi)
|
2009.04.18 |
ランドウィック |
TJスミスS |
G1 |
芝1200m
|
1着 |
N.ローウィラー |
2 3/4馬身 |
(Northern Meteor)
|
2009.05.02 |
モーフェットビル |
グッドウッドH |
G1 |
芝1200m
|
1着 |
J.フォード |
1馬身 |
(I am Invincible)
|
2009.05.17 |
クランジ |
クリスフライヤーインターナショナルスプリント |
|
芝1200m |
8着 |
J.フォード |
|
Sacred Kingdom
|
2009.07.10 |
アスコット |
ジュライC |
G1 |
芝6f |
7着 |
J.フォード |
|
Fleeting Spirit
|
エピソード
本馬を管理するジョセフ・ジャニアックは調教師ながらタクシードライバーでもあった[11][1]。オーストラリアでは、専業調教師として生活できるのはごく一部の人間だけであり、ほとんどの場合ほかの職業と兼業するのが普通である。ジャニアックも例外ではなく、一時期は朝はパン屋、昼は馬の調教、夜はタクシードライバーとして生活するほど苦しく、調教師を辞めることすら考えたほどである。しかしテイクオーバーターゲットの賞金で、馬を厩舎に10頭所有できるほどになった[11][1]。ジャニアックは「テイクが人生を変えてくれた」と語っている。
血統表
父・セルティックスウィング(Celtic Swing、おもな勝ち鞍:1995年ジョッケクルブ賞)の父であるダミスターは、2001年スプリンターズステークスを制したトロットスターを輩出している。
脚注
参考文献
外部リンク