チャールズ・ボークラーク (初代セント・オールバンズ公)
初代セント・オールバンズ公爵チャールズ・ボークラーク(Charles Beauclerk, 1st Duke of St Albans,KG, 1670年5月8日 - 1726年5月10日)は、イギリスの貴族。イングランド王チャールズ2世と愛人ネル・グウィンとの間に生まれた庶子。初代セント・オールバンズ公でボークラーク家の祖。 生涯1676年、チャールズ2世からボークラーク姓とバーフォード伯爵及びヘディントン男爵を与えられ、1675年に鷹司頭(Master of the Hawks)に任命、1684年にセント・オールバンズ公に叙され年金手当も与えられた[1]。1685年に父が死去、1687年に母も亡くなるとウィンザー城敷地内のバーフォード・ハウスなど大規模な不動産を相続、同年に騎兵第8連隊隊長となり、1688年に大トルコ戦争に参戦してベオグラード包囲戦に加わった[2]。 1693年にウィリアム3世からジェントルマン・アット・アームス隊長に任命され、4年後の1697年には寝室係侍従になるなどウィリアム3世の下でも優遇された[2]。アンの治世ではホイッグ党寄りの姿勢から遠ざけられたが、ジョージ1世の代で復帰、1718年にガーター勲章を受勲した[2]。 1726年、56歳で死去。長男のチャールズが爵位を継承、遺体はウェストミンスター寺院へ埋葬された。 私生活1694年、ダイアナ・ド・ヴィアー(第20代オックスフォード伯爵の娘)と結婚、12人の子を儲けた[1]。
出典
参考文献
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