チャーリー・オースティン
チャールズ・"チャーリー"・オースティン(Charles "Charlie" Austin、1989年7月5日- )は、イギリス(イングランド)出身のサッカー選手。 経歴プール・タウンイングランド南部、レディングとスウィンドンの中ほどに位置する小都市ハンガーフォードの出身。2005年にレディングのユースチームへ入団するが、トップチームへの昇格は叶わず、2006年以降は地元のアマチュアクラブでプレーしていた。 2008年、家族と沿岸部のボーンマスへ引越したのを機に、レンガ積み職人として働く傍ら、隣町プールにあるセミプロクラブ、プール・タウンへ入団した。[1]プール・タウンでの活躍は目覚ましいものがあり、ウェセックス・プレミアリーグ(7部相当)42試合に出場し、48得点という驚異的な成績を残した。2008-09シーズン、オースティンを擁したプール・タウンは、リーグ戦42試合を38勝2敗2分の勝ち点116、得失点差は+110という圧倒的な強さで優勝、さらにドーセット・シニアカップを優勝して二冠を達成した。2009-10シーズン前にはフットボールリーグ2(4部相当)のボーンマスへの移籍が取り立たされるが、リーグの移籍規定に関する紆余曲折を経て、この移籍は流れた。[2]移籍破談後のオースティンは、リーグ開幕からの8試合で14のゴールを決めた。 スウィンドン・タウン2009年9月、フットボールリーグ1(3部相当)のスウィンドン・タウンからトライアルへの招待を受け、同年10月にシーズン終了までの契約を結んだ。プロリーグの中でもオースティンはすぐに得点を量産し始め、シーズン終了までにリーグ7位となる19得点をあげた。特に同シーズン26得点をあげたビリー・ペインターとのコンビは対戦相手にとって脅威となった。このシーズン、オースティンは先発出場した11試合で10得点を決めた。[3]スウィンドンは5位でシーズンを終え、チャンピオンシップ昇格プレーオフの決勝まで進むが、ミルウォールFCに敗れて昇格を逃した。 2010年2月、スウィンドンと新たに2年半の契約を結んだが、2010-11シーズンの冬のマーケットで移籍を志願し、チャンピオンシップのバーンリーへ移籍が決まった。[4]移籍前までにオースティンはチーム得点王となる12得点をあげており、オースティン移籍後、深刻な得点力不足に見舞われたスウィンドンは、最下位でリーグ2へ降格した。 バーンリー2011年1月28日、オースティンはバーンリーと3年半の契約を結んだ[4]。移籍後の半シーズンは無得点に終わったが、翌2011-12シーズンは16得点をあげてチーム得点王となった。 2012-13シーズンは開幕から驚異的なペースで得点を量産し、開幕から12試合の出場で2度のハットトリックを含む15得点をあげた。また、2012年10月23日のブリストル・シティ戦では、1958-59シーズンにレイ・ポインターが記録した出場8試合連続得点のクラブ記録に並んだ[5]。 QPR2013年8月1日、クイーンズ・パーク・レンジャーズに3年契約で移籍。移籍金は400万ポンドほどと推定されている[6][7]。31試合に出場し、17得点を記録した。 2014-15シーズンは35試合に出場し、下部リーグで磨き上げられたゴールセンスをフルに活用。チームが降格圏に沈む中、18得点・5アシストを記録し、得点ランキングで4位となった。 サウサンプトン2016年1月17日、サウサンプトンFCへ移籍[8]。1月23日に行われたマンチェスター・ユナイテッド戦で途中出場を果たしデビューを飾ると、決勝点を挙げチームの勝利に貢献した。 WBA2019年8月8日、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCに2年契約で移籍した[9]。 QPR復帰2021年1月9日、クイーンズ・パーク・レンジャーズに2020-21シーズン終了までのレンタル移籍で復帰した[10]。同年6月2日に2年契約で完全移籍した[11]。 個人成績
タイトル個人
脚注
外部リンク
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