チャーバーン
チャーバーン伯ブンマー (พระยาจ่าบ้าน บุญมา) は、トンブリー王朝によって擁立されたチエンマイの国主である。 伝記当時、チエンマイを支配していたビルマ・コンバウン王朝は、度重なるチエンマイでの反乱などで支配力を大きく低下させていた。その最中の1770年、トンブリー王朝のタークシンの軍がチエンマイを攻撃した。これに触発される形で1771年、チャーバーンとその一味は、十分に武装せずに300人でチエンマイでビルマに対して蜂起したが、結局失敗し、チャーバーンの弟はこの戦いで死んだ。 しかし、この後、ラムパーンの国主カーウィラと合流。またトンブリーから援軍を受けチエンマイを陥落させ、1774年にワット・プラタートハリプンチャイにて即位の式が行われ、チエンマイの国主となった。 しかし、チエンマイの王とは名ばかりで、チエンマイは荒廃しており、実際にはカーウィラのもとに身を寄せていた。1777年、チエンマイを再興しようと、チエンマイとラムプーンの近くに移住するが、1779年、極度の精神錯乱に陥っていたタークシン王の命で、チャーバーンは甥を殺した罪により逮捕され、トンブリーへ護送され、死亡した。 彼の後、王についたのはカーウィラで、カーウィラはチャーバーンの念願であったチエンマイ再興を果たした。 参考文献
関連項目
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