チェリーコウマン(欧字名:Cherry Koman、1989年4月20日 - 2016年10月14日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に1992年のウインターステークス。
戦績
1991年8月4日、函館競馬の芝1000メートル戦で南井克巳の騎乗によりデビューしたが3着に終わり、連闘で挑んだ新馬戦で初勝利[4]。4か月の放牧ののち、年末のシクラメンステークス、年明けの紅梅賞と芝の短距離レースに使われるも結果が出ず、初ダートとなった500万条件で2勝目を挙げる[4]。その後は桜花賞の出走権確保を目指して報知杯4歳牝馬特別など芝のレースを使われるも権利確保はならず、笹針を打って放牧に出される[4][2]。
7月小倉競馬場の芝レースで復帰するが7着に終わるが、8月新潟競馬場の900万下特別瀬波特別でユウユウサンボーイを押さえ勝利し[4]、以降はダートレース一本に使われ、ダート路線で頭角を現すようになる[2]。9月から11月まで1500万下クラスで2着3回と勝ちきれない結果が続いたが、12月に市川ステークスで4勝目を挙げた後、連闘でウインターステークスに駒を進める[4]。ウインターステークスではナリタハヤブサ、ミスタートウジンなどダート路線の古豪が顔をそろえる中で斤量52キロながら9番人気に甘んじたが、レースでは中団から徐々に上位に進出し、最後はキョウエイスワットに半馬身差をつけて勝利[4][2][5]。騎乗した菊沢隆仁は1992年がデビュー年でその年に重賞初勝利をおさめたが、これが唯一の重賞勝利でもあった[6]。
1993年初戦のガーネットステークスでもミスタートウジンの2着に入ったものの、続くフェブラリーハンデ、仁川ステークスではともに二桁着順と大きく崩れ、再び笹針を打たれて放牧に出された[4]。帰厩後はウインターステークスに向けて調整されていたが[4]、休み明け初戦のアンドロメダステークスで後方まま見せ場なく14着に終わり引退、1993年12月17日に登録を抹消された[3]。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[7]およびJBISサーチ[8]に基づく。
年月日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ(人気) |
着順 |
タイム (上り3F/4F) |
着差 |
騎手 |
斤量 (kg) |
勝ち馬/(2着馬)
|
1991.08.04
|
函館
|
3歳新馬
|
|
芝1000m(不)
|
8
|
2
|
2
|
06.5(3人)
|
3着
|
1:01.0 (37.0)
|
-0.1
|
南井克巳
|
53
|
フローリスエリート
|
0000.08.11
|
函館
|
3歳新馬
|
|
芝1000m(稍)
|
9
|
8
|
9
|
01.8(1人)
|
1着
|
0:59.1 (35.8)
|
-0.6
|
南井克巳
|
53
|
(ナインオペラ)
|
0000.12.07
|
阪神
|
シクラメンS
|
OP
|
芝1400m(良)
|
9
|
1
|
1
|
12.4(7人)
|
9着
|
1:25.8 (49.6)
|
-1.5
|
南井克巳
|
53
|
ヒッタイトシーザー
|
1992.01.06
|
京都
|
紅梅賞
|
OP
|
芝1200m(稍)
|
16
|
8
|
16
|
54.6(12人)
|
6着
|
1:11.2 (47.1)
|
-0.6
|
南井克巳
|
53
|
コガネテスコ
|
0000.01.19
|
京都
|
4歳500万下
|
|
ダ1200m(良)
|
11
|
8
|
11
|
04.2(2人)
|
1着
|
1:12.6 (48.7)
|
-0.2
|
南井克巳
|
53
|
(イエローブルーム)
|
0000.02.09
|
京都
|
エルフィンS
|
OP
|
芝1600m(良)
|
12
|
2
|
2
|
13.4(6人)
|
6着
|
1:36.3 (47.8)
|
-0.5
|
南井克巳
|
56
|
ダイイチランナー
|
0000.02.22
|
京都
|
バイオレットS
|
OP
|
芝1400m(良)
|
12
|
8
|
12
|
09.0(5人)
|
7着
|
1:23.6 (47.4)
|
-0.6
|
田島良保
|
53
|
シロキタシンザン
|
0000.03.07
|
阪神
|
アネモネS
|
OP
|
芝1400m(良)
|
16
|
3
|
6
|
67.6(11人)
|
13着
|
1:25.5 (50.8)
|
-1.6
|
柿元嘉和
|
54
|
ダンツセントー
|
0000.03.22
|
阪神
|
報知杯4歳牝馬特別
|
GII
|
芝1400m(良)
|
16
|
4
|
7
|
68.1(13人)
|
10着
|
1:25.7 (49.0)
|
-1.4
|
安田康彦
|
54
|
ディスコホール
|
0000.07.25
|
小倉
|
別府特別
|
900
|
芝1700m(良)
|
7
|
2
|
2
|
16.9(6人)
|
7着
|
1:42.9 (35.6)
|
-0.8
|
菊沢隆仁
|
52
|
ケージーカグラ
|
0000.08.16
|
新潟
|
瀬波特別
|
900
|
ダ1700m(良)
|
11
|
6
|
7
|
04.4(1人)
|
1着
|
1:46.7 (39.6)
|
-0.4
|
岡部幸雄
|
53
|
(ユウユウサンボーイ)
|
0000.09.12
|
阪神
|
スカイブルーS
|
1500
|
ダ1800m(良)
|
11
|
3
|
3
|
07.1(3人)
|
2着
|
1:55.2 (52.7)
|
-0.6
|
南井克巳
|
53
|
マキバスクリーン
|
0000.10.11
|
京都
|
太秦S
|
1500
|
ダ1800m(良)
|
12
|
6
|
8
|
04.2(2人)
|
2着
|
1:52.0 (49.6)
|
-0.4
|
菊沢隆仁
|
52
|
アメリカンシチー
|
0000.10.25
|
京都
|
貴船S
|
1500
|
ダ1400m(良)
|
16
|
8
|
15
|
04.8(2人)
|
9着
|
1:26.3 (50.0)
|
-1.9
|
菊沢隆仁
|
53
|
エイシンオレゴン
|
0000.11.08
|
東京
|
テレビ静岡賞
|
1500
|
ダ2100m(良)
|
10
|
8
|
9
|
06.2(2人)
|
2着
|
2:11.5 (35.9)
|
-0.1
|
塩村克己
|
53
|
レインボーギンザ
|
0000.11.22
|
東京
|
霜月S
|
1500
|
ダ1600m(重)
|
16
|
5
|
10
|
05.6(2人)
|
5着
|
1:35.9 (37.6)
|
-0.5
|
塩村克己
|
53
|
スーパートドロキ
|
0000.12.13
|
中山
|
市川S
|
1500
|
ダ1800m(良)
|
13
|
3
|
3
|
04.1(1人)
|
1着
|
1:52.9 (38.7)
|
-0.1
|
南井克巳
|
53
|
(ブランドエレッセ)
|
0000.12.20
|
中京
|
ウインターS
|
GIII
|
ダ2300m(良)
|
16
|
3
|
5
|
28.1(9人)
|
1着
|
2:25.9 (38.3)
|
-0.1
|
菊沢隆仁
|
52
|
(キョウエイスワット)
|
1993.01.06
|
中山
|
ガーネットS
|
OP
|
ダ1800m(良)
|
11
|
3
|
3
|
04.8(2人)
|
2着
|
1:53.1 (38.1)
|
-0.8
|
菊沢隆仁
|
55
|
ミスタートウジン
|
0000.02.20
|
東京
|
フェブラリーH
|
GIII
|
ダ1600m(良)
|
16
|
2
|
4
|
09.2(4人)
|
11着
|
1:37.5 (36.9)
|
-1.8
|
菊沢隆仁
|
55
|
メイショウホムラ
|
0000.03.20
|
阪神
|
仁川S
|
OP
|
ダ1800m(良)
|
14
|
3
|
3
|
08.1(4人)
|
10着
|
1:54.2 (49.9)
|
-1.5
|
武豊
|
55
|
チアズラック
|
0000.11.13
|
京都
|
アンドロメダS
|
OP
|
ダ1800m(不)
|
14
|
5
|
7
|
73.3(13人)
|
14着
|
1:56.4 (39.7)
|
-5.6
|
菊沢隆仁
|
55
|
ローリエアンドレ
|
引退後
引退後は、故郷のフジワラファームで繁殖牝馬となった。16頭の産駒を送り出し、14番仔アンバルブライベン(父・ルールオブロー)は2014年の京阪杯と2015年のシルクロードステークスを制したが、現役中の2015年7月5日に疝痛により死亡した[9]。また、3番仔マイマスターピース(父・サッカーボーイ)は昇竜ステークスを勝ち兵庫チャンピオンシップでも3着に入る成績を挙げたほか[10]、12番仔マイプラーナ(父・マンハッタンカフェ)の産駒からは、2019年の毎日杯を制したランスオブプラーナ[11]、2024年の優駿牝馬で5着に入ったランスオブクイーンが出ている。
2013年に父パーソナルラッシュの牝馬(カツゲキミユ)を出産したのを最後に繁殖を引退、2014年10月からは功労馬繋養展示事業の助成を受けて北海道新ひだか町の朝野勝洋牧場で余生を過ごし[12]。2016年10月14日に亡くなった[2][13]。
産駒一覧
血統表
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “チェリーコウマン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ a b c d e “チェリーコウマン”. 競走馬のふるさと案内所. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ a b #関西競馬四季報94年春 p. 1340
- ^ a b c d e f g h #関西競馬四季報93年秋 p. 700
- ^ “11R ウインターS 1992年12月20日(日)3回中京8日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “菊沢隆仁騎手が引退 [News]”. 中央競馬実況中継 競馬実況web. 日経ラジオ社 (2005年7月29日). 2019年10月30日閲覧。
- ^ “チェリーコウマンの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “チェリーコウマン 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “アンバルブライベン、疝痛のため死亡”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd. (2015年7月9日). 2019年10月30日閲覧。
- ^ a b “マイマスターピース”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “【毎日杯】ランスオブプラーナが逃げ切り重賞初制覇/JRAレース結果”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd. (2019年3月23日). 2019年10月30日閲覧。
- ^ 引退名馬 - チェリーコウマン2015年2月27日閲覧
- ^ チェリーコウマンの死亡について
- ^ “チェリープリンセス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マジェスティタイト”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “ツルマルヒガシダケ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “エボルブ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マイマスタートップ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マイソールラブ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マイソールカラー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マイスイートプラン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マイソールスター”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マイソールガイ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マイプラーナ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “マイチルゼツビ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “アンバルブライベン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “カツゲキファルコン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ “カツゲキミユ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年10月30日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|チェリーコウマン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2016年9月3日閲覧。
- ^ a b “チェリーコウマンの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年10月30日閲覧。
- ^ a b c 『優駿』1993年2月号、日本中央競馬会、163頁
- ^ “スプレンデイドモーメント 種牡馬情報:産駒一覧”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年11月6日閲覧。
- ^ “スプレンデイドモーメント 種牡馬情報:種牡馬成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年11月6日閲覧。
参考文献
- 「関西競馬四季報 1993秋季号」『競馬ブック』第14巻第3号、ケイバブック。
- 「関西競馬四季報 1994春季号」『競馬ブック』第15巻第1号、ケイバブック。
外部リンク