ダルエスサラーム (Dar es Salaam )は、インド洋 に面した、タンザニア のダルエスサラーム州 の州都である。かつては首都であった。
ダレサラーム とも呼ばれる[ 1] 。また、ダール と通称される場合もある。
現在の法律上の首都はドドマ だが、実質的な首都機能は、経済の中心地のダルエスサラームにある[ 2] 。鉄道など交通の中心地で、ザンジバルなどへのフェリーも発着する。
タンザニアで最多の人口を擁し、2022年時点の推定人口は約538万人だった。
歴史
1865年 もしくは1866年 に、対岸に位置するインド洋上の島のザンジバル島 を支配するザンジバル・スルタン国 (ブーサイード朝オマーン のアラブ人 王朝)のスルタン 、マージド・ビン・サイード (英語版 ) によって建設が始まり、彼の離宮が置かれ、ダルエスサラームの名が与えられた。なお、ダルエスサラームの名は「平和の家」「平和の地」を意味するアラビア語 のダール・アッ=サラーム (دار السلام dār as-salām )に由来するとされる。
マージドは、農業・商業の発展のためにアラブ商人やインド商人を、この地に住まわせた[ 3] 。1870年 にマージドが死亡し、その後一時的に町は寂れた。しかし、1887年 にドイツ が進出し、1895年 にドイツ領東アフリカ の首都がバガモヨ から移され、東アフリカ ・インド洋地域における基地にされた。当初のドイツによる支配に反発して1905年 にマジ・マジ反乱 が発生し、その後、ドイツ領東アフリカでの統治の腐敗や不祥事が明らかになった結果、統治の仕方を改善する事が決定された。またダルエスサラームにも、ドイツ人兵士だけでなく、アフリカ人の兵士 も駐留した[ 4] 。
第一次世界大戦 でドイツが敗北すると、ダルエスサラームを含むドイツ領東アフリカ は、イギリス の委任統治領のタンガニーカ となり、イギリスによりダルエスサラームはタンガニーカの政治・経済の中心都市として位置付けられた。これにより、他のイギリス支配地域と同様に、ダルエスサラームにもインドから数多くの移住者を受け入れた。
第二次世界大戦 後、スワヒリ 系ムスリム 住民を中心とした人々によるタンガニーカの独立を目指す運動の中心地となり、1961年 にタンガニーカは独立を達成した。1965年 にタンガニーカ共和国がザンジバル と合邦してタンザニア連合共和国 が成立し、その際もダルエスサラームは首都と定められた。
しかし、1973年 に法律上の首都はタンザニア内陸部のドドマ に移された。それに伴い国会がドドマに移転されたものの、官公庁や中央銀行を始めとする主要な機関のほとんどが現在も残っている。
なお、1978年 1月に、市内でコレラ が蔓延し、多数の死者が出た。タンザニア政府は感染拡大を封じるために、ダルエスサラームを始めとした感染地の交通を遮断した。この結果、物価が急上昇したなど市民生活の混乱も生じたものの、コレラの封じ込めを優先させた[ 5] 。
ダルエスサラーム港
空港
気候
気候は熱帯性で、ケッペンの気候区分 でサバナ気候 (Aw)に区分される。インド洋に面するため、湿気が多い。最高気温は年間を通じ30 ℃ 前後、最低気温は20 ℃前後である。降雨量は1年に1100 mm 程度である。
ダルエスサラームの気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
平均最高気温 °C (°F )
31 (88)
31 (88)
31 (88)
30 (86)
29 (84)
29 (84)
28 (82)
28 (82)
28 (82)
29 (84)
30 (86)
31 (88)
29.6 (85.2)
平均最低気温 °C (°F )
25 (77)
25 (77)
24 (75)
23 (73)
22 (72)
20 (68)
19 (66)
19 (66)
19 (66)
21 (70)
22 (72)
24 (75)
21.9 (71.4)
降水量 mm (inch)
66 (2.6)
66 (2.6)
130 (5.12)
290 (11.42)
188 (7.4)
33 (1.3)
31 (1.22)
25 (0.98)
31 (1.22)
41 (1.61)
74 (2.91)
91 (3.58)
1,066 (41.96)
平均降雨日数
8
6
12
19
15
6
6
7
7
7
9
11
113
平均月間日照時間
248
196
217
150
217
210
217
279
270
279
240
248
2,771
出典:BBC Weather [ 6]
行政区画
ダルエスサラーム州は、5つの県で構成されている。
姉妹都市
経済
交通
空港
鉄道
港湾
市内交通
教育
スポーツ
サッカー
ダルエスサラームをホームとするサッカークラブがある。
文化
料理
ウガリ と呼ぶ米飯が主食
観光
出身者
関連項目
出典
^ タンザニア連合共和国ダレサラーム上水道整備計画基本設計調査報告書. - (国際協力事業団 、1984年1月)
^ DTAC タンザニア観光情報局 タンザニア基礎知識,2020年1月21日閲覧
^ James R. Brennan, Andrew Burton, Lusuf Lawi (2007). "Dar es Salaam: histories from an emerging African metropolis"; The emerging Metropolis: A history of Dar es Salaam, circa 1862-2000: The founding of Dar es Salaam, 1862-87., African Books Collective. pp. 13. ISBN 9987449700 .
^ Haupt, Deutschlands Schutzgebiete in Ubersee 1884-1918 , p. 32
^ コレラで死者160人 交通閉鎖の強硬策『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月18日朝刊、13版、23面
^ “Weather Dar-es-Salaam” . BBC News . (2011年5月). http://news.bbc.co.uk/weather/forecast/120 ?
^ ダルエスサラーム証券取引所、DSE
^ 宮崎 裕(編集)『JTBのポケットガイド130 アフリカ(改訂10版)』 p.216 日本交通公社出版事業局 1991年11月10日発行 ISBN 4-533-01240-X
^ (英語) “EDITORIAL: Yes, BRT can be made much more efficient, lucrative” . THE CITIZEN. (2018年9月16日). http://www.thecitizen.co.tz/oped/EDITORIAL--Yes--BRT-can-be-made-much-more-efficient--lucrative/1840568-4759172-j41qem/index.html 2018年9月19日 閲覧。
外部リンク