ダリル・シトラーダリル・シトラー(Darryl Sittler、1950年9月18日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州キッチェナー生まれの元プロアイスホッケー選手である。ポジションはセンターである。 経歴OHL(ロンドン・ナショナルズ及びロンドン・ナイツ)で3シーズン活躍した後、1970年のNHLドラフト1巡目(全体8位)でトロント・メープルリーフスに指名された。NHLにおいては1970年から1985年まで選手生活を送り、この間トロント・メープルリーフス(1970-1971シーズンから1981-1982シーズンの途中まで)、フィラデルフィア・フライヤーズ(1981-1982シーズンから1983-1984シーズンまで)及びデトロイト・レッドウィングス(1984-1985シーズン)に所属した。 1970年代メープルリーフスの得点能力に優れた攻撃陣の一員として知られている。特に、1976年2月7日の対ボストン・ブルーインズ戦では、NHLにおける一試合最多ポイント記録(2005年現在も最多記録)となる10ポイント(6ゴール4アシスト)を上げている。また、この数ヵ月後には、プレイオフにおけるタイ記録となる一試合5ゴールを上げ、さらにその年の夏には、第1回カナダ・カップにおいてカナダチームに優勝をもたらす延長戦ゴールをたたき出した。 もっともプレーヤーとしての名声が高まるのとは裏腹に、狷介さで知られたメープルリーフスのオーナーハロルド・バラードとの折り合いが徐々に悪化し、また、友人でもあったラニー・マクドナルドが1979年12月29日にコロラド・ロッキーズ(ニュージャージー・デビルスの前身、1976年から1982年までNHLに所属したチーム)にトレードされると、その心がぐらつくようになったといわれる。 当時メープルリーフスのコーチは、気難しいことで知られるパンチ・イムラック であり、シトラーのプレーについては評価していたとされるが、非常に交際術に長けているとの評判については、快く思わなかったといわれる。このため、イムラックは意趣返しの意味を込めて、シトラーの友人であるマクドナルドのトレードを画策したと指摘する者もいる。シトラーは、抗議のため一時メープルリーフスのチームキャプテンの地位を返上するが、翌シーズン初頭には再びキャプテンを引き受けている。 1982年1月20日、シーズン途中で自ら希望しフィラデルフィア・フライヤーズに移籍した。2シーズン半後の1984年10月10日、さらにデトロイト・レッドウィングスに移籍し、1年プレーしたあと現役生活を終えた。 1989年にホッケーの殿堂入りを果たしている。メープルリーフス時代の背番号27は2016年10月15日、27番の前任者フランク・マホブリッチと共に永久欠番となった。 詳細情報通算成績
記録
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