ダニー・フィリップ
ダニー・フィリップ(英語: Danny Philip、1953年8月5日 - )は、ソロモン諸島の政治家、外交官。2010年から2011年まで、同国の首相を務めた[1]。 既婚で、マーガレット夫人との間に三男がいる[1]。 経歴西部州レンドバ島の町、ロクルの出身[2]。母は急性灰白髄炎のため、生後2日でこの世を去った[2]。1973年にベイカマ高等学校卒、1977年にフィジーのフルトン大学卒、1980年にニュージーランドのヴィクトリア大学ウェリントンに留学[1]。英語教師、言語学者になった[2]。 1984年から2001年まで、通算4期にわたり国会議員を務めた[3]。選挙区は当初ヴォナ・ヴォナ=レンドヴァ=テテパレ選挙区だったが、1994年にサウス・ニュー・ジョージア=レンドヴァ・テテパレ選挙区に改称された[3]。1985年から1988年にかけ、文部相、商業・第一産業相を歴任[1]。1989年に副首相兼内務相に就任[1]。1992年12月に太平洋国会議員連合(APPU)主催の文化学者会議に出席するため日本を訪問、1995年にも高級実務者の招聘により訪日している[1]。1995年から1996年、2000年7月から2001年6月にかけ外務相、1997年から改革民主党を結成する2000年まで人民保守党の党首を務めた。しかし、2001年と2006年の総選挙で続けて落選。その間、憲法改正委員会の委員などを務めた[1]。 2010年の総選挙後、8月24日に首相に就任[4]。首相選挙ではスティーヴ・アバナ民主党党首と対決したが、フィリップ26票、アバナ23票でわずか3票差で上回った[4]。選挙後の勝利宣言では「まずやるべきは新しい政府を形作ることだ」と述べ[4]、憲法改正に熱心に取り組む構えを見せた。憲法改正はフィリップ率いる改革民主党の選挙公約の柱であった[5]。副首相にはマナセー・マエランガが就いた[6]。 同年10月12日には夫妻で台湾を訪れ、総統府で馬英九総統と会見。両国のパートナーシップをアピールした[7]。 5人の閣僚と7人の平議員が野党側に寝返り、内閣不信任決議案の可決が確実視された2011年11月10日、フィリップは自らの辞任を発表した。その後、11月16日に同じ「改革と発展のための国民連合」所属のゴードン・ダルシー・リロが新首相に選出されたことで、正式に首相職を辞した。平議員として政界には留まった[8]。 脚注
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