ダウンシャー侯爵 (英語 : Marquess of Downshire )は、アイルランド貴族 の侯爵 位。
植民地大臣 を務めた政治家第2代ヒルズバラ子爵ウィルズ・ヒル が1789年 に叙されたのに始まる。
歴史
初代ダウンシャー侯爵ウィルズ・ヒル
アングロ・アイリッシュ (英語版 ) の地主トレヴァー・ヒル (1693–1742) は、アイルランド議会 やグレートブリテン議会 で庶民院議員を務め、1717年 8月21日 にアイルランド貴族 爵位ヒルズバラ子爵 (Viscount Hillsborough) とダウン県におけるキルワーリンのヒル男爵 (Baron Hill, of Kilwarlin in the County of Down) に叙せられた[ 1] 。
その息子である2代ヒルズバラ子爵ウィルズ・ヒル (1718–1793) もグレートブリテン議会の庶民院議員となり、1751年 10月には直系の男系男子に次いで叔父初代ダンガノン子爵 アーサー・ヒル=トレヴァー (1694頃-1771) の男系男子への特別継承を規定したアイルランド貴族爵位ヒルズバラ伯爵 (Earl of Hillsborough) とキルワーリン子爵 (Viscount Kilwarlin) に叙せられた[ 2] [ 3] 。ついで1756年 11月17日 にはグレートブリテン貴族 爵位エセックス州におけるハリッジのハリッジ男爵 (Baron Harwich, of Harwich in the County of Essex) に叙せられ、グレートブリテン議会貴族院 議員に列した(以降の当主も自動的にイギリス議会の貴族院議員となる)[ 2] [ 3] 。その後彼は1768年から1772年にかけて大ピット 内閣からノース卿 内閣までの三代の内閣で植民地大臣 を務めたが、アメリカ植民地に対して強硬姿勢をとったためアメリカ人の反発を招いた。この反発がアメリカ独立戦争 への機運の高まりの背景の一つとなった[ 5] 。1772年8月28日 には植民地大臣辞職に際してグレートブリテン貴族ヒルズバラ伯爵 とフェアフォード子爵 (Viscount Fairford) に叙せられ、さらに晩年の1789年 8月20日 にはアイルランド貴族ダウンシャー侯爵 に叙せられた[ 2] [ 3] 。
その息子である2代侯アーサー・ヒル (英語版 ) (1753-1801) の妻メアリー・ヒル (1774–1836) (初代サンズ男爵 (英語版 ) サミュエル・サンズ の孫娘)は夫の死後の1802年 6月19日 に連合王国貴族 爵位ウスター州におけるオンバースリーのサンズ女男爵 (Baroness Sandys, of Ombersley in the County of Worcester) に叙せられた。この爵位は夫妻の次男アーサー・モイセズ・ウィリアム・ヒル (英語版 ) (1793–1860) 以下のヤンガーサン たちとその男系男子を長男である3代侯アーサー・ブランデル・サンズ・トランブル・ヒル (1788–1845) とその男系男子に優先させるという特別継承規定が付けられていた[ 3] 。この爵位は2013年 までヤンガーサンたちの男系男子に継承され続けたが、2013年に2代侯のヤンガーサンの家系がすべて絶えたため、3代侯の子孫でダウンシャー侯爵家の現当主である9代侯アーサー・フランシス・ニコラス・ウィルズ・ヒル (英語版 ) (1959-) が継承することとなり、結局ダウンシャー侯爵位の従属爵位の一つとなった[ 6] 。
また3代侯の三男であるエドウィン・ヒル=トレヴァー (1819-1894) は、保守党 の庶民院議員を務めた後、1880年 5月5日 に連合王国貴族トレヴァー男爵 (英語版 ) に叙せられている。このトレヴァー男爵家は2016年 現在も存続している[ 7] 。
現当主の保有爵位
現当主アーサー・フランシス・ニコラス・ウィルズ・ヒル (英語版 ) は以下の爵位を保有している[ 3] [ 8] 。
第9代ダウンシャー侯爵 (9th Marquess of Downshire)
(1789年 8月20日 の勅許状 によるアイルランド貴族 爵位)
第9代ヒルズバラ伯爵 (9th Earl of Hillsborough)
(1751年 10月3日 の勅許状によるアイルランド貴族爵位。法定推定相続人 の儀礼称号)
第9代ヒルズバラ伯爵 (9th Earl of Hillsborough)
(1772年 8月28日 の勅許状によるグレートブリテン貴族 爵位)
第10代ヒルズバラ子爵 (10th Viscount Hillsborough)
(1717年 8月21日 の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
第9代キルワーリン子爵 (9th Viscount Kilwarlin)
(1751年10月3日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
第9代フェアフォード子爵 (9th Viscount Fairford)
(1772年8月28日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
ダウン県におけるキルワーリンの第10代ヒル男爵 (10th Baron Hill, of Kilwarlin in the County of Down)
(1717年8月21日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
エセックス州におけるハリッジの第9代ハリッジ男爵 (9th Baron Harwich, of Harwich in the County of Essex)
(1756年11月17日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
ウスター州におけるオンバースリーの第8代サンズ男爵 (英語版 ) (8th Baron Sandys, of Ombersley in the County of Worcester)
(1802年 6月19日 の勅許状による連合王国貴族 爵位)
歴代当主一覧
ダウン県ヒルズバラにある4代ダウンシャー侯アーサー の像
ヒルズバラ子爵 (1717年)
初代ヒルズバラ子爵トレヴァー・ヒル (Trevor Hill) (1693–1742)
2代ヒルズバラ子爵ウィルズ・ヒル (Wills Hill) (1718–1793)
ダウンシャー侯爵 (1789年)
家系図
関連項目
脚注
出典
^ Lundy, Darryl. “Trevor Hill, 1st Viscount Hillsborough ” (英語). thepeerage.com . 2016年8月25日 閲覧。
^ a b c Lundy, Darryl. “Wills Hill, 1st Marquess of Downshire ” (英語). thepeerage.com . 2016年8月25日 閲覧。
^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Downshire, Marquess of (I, 1789) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016年8月23日 閲覧。
^ "Hill, Wills" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co . 1885–1900.
^ Heraldic Media Limited. “Sandys, Baron (UK, 1802) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016年8月25日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Trevor, Baron (UK, 1880) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016年8月25日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Arthur Francis Nicholas Wills Ian Hill, 9th Marquess of Downshire ” (英語). thepeerage.com . 2016年8月23日 閲覧。
参考文献