タリック・ウリダ
タリック・ウリダ(Tarik Oulida, 1974年1月19日 - )は、オランダ・アムステルダム出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 来歴両親は共にモロッコ人。12歳で名門アヤックスユースに入団、17歳でトップチームに昇格。ユース代表、オリンピック代表にも名を連ね、その才能はヨハン・クライフからも高く評価されたが、当時の監督であったルイス・ファン・ハールとの不和もあり退団。 1995-1996シーズンからはリーガ・エスパニョーラ・セビージャでプレーするが、怪我や2部降格など不運が続き、1998年8月に日本の名古屋グランパスエイトに移籍。1998年8月1日のベルマーレ平塚戦で初ゴールを含む2ゴールを決めたが[1]、当初は日本のサッカーにフィットしなかった。ジョアン・カルロス監督が就任した1999年以降は主力として活躍。2000年にはJOMOカップに外国籍選手選抜の一員として先発出場した[2]。 退団後は欧州に帰るが、2003年、シーズン半ばにジョアン・カルロス監督の指揮するコンサドーレ札幌に加入。再び日本のピッチに立った。しかし、ウリダが来日したときには既に彼の獲得を希望していたジョアン・カルロスは監督を辞任しており、クラブも迷走期に入っていた。そんな中、ウリダは背番号10番を付け奮闘したが、チームはJ1昇格どころか、昇格争いにすら絡めないままシーズン終了。ウリダもシーズン終了後に同チームを退団し、2004年はADOデン・ハーグに移籍。戸田和幸とともにプレーした。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
国際試合
タイトル選手時代
脚注
関連項目外部リンク
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