セルジオ・バッツィーニ
セルジオ・バッツィーニ(Sergio Bazzini, 1935年2月26日 - )は、イタリアの脚本家、映画監督である[1]。英語・フランス語読みで-バッジーニと日本で表記されることもある[2][3]。 人物・来歴1935年(昭和10年)2月26日、イタリアのトスカーナ州ピストイア県ピストイアに生まれる[1]。 1960年代初頭に助監督となり、ジャンフランコ・パロリーニ、マッシモ・ミダに師事し、ジャーロ系映画の製作にたずさわる[1]。1966年(昭和41年)、脚本家としてデビュー、イタリア式の集団執筆体制に加わっていく[1]。 1969年(昭和44年)、アメリカの「パブリック・エネミー・ナンバーワン」と呼ばれたジョン・デリンジャーを描くマルコ・フェレーリ監督の『デリンジャーは死んだ』の脚本を書く[1]。同年6月16日 - 同年7月16日に撮影[4]された、ジャン=リュック・ゴダールとジャン=ピエール・ゴランを中心とした映画製作集団「ジガ・ヴェルトフ集団」による『東風』の脚本執筆に同集団名義で参加する[1]。 1971年(昭和46年)、イタリア放送協会によるテレビ映画『訪問者』で映画監督としてデビューした[1]。1974年(昭和49年)には監督第2作『女性は美しい』を演出した[1]。同年、マウロ・ボロニーニ監督の『哀しみの伯爵夫人』の脚本執筆に参加する[1]。以降、ボロニーニ作品の脚本を多く執筆した[1]。 1985年(昭和60年)以降、1990年代は執筆のペースが落ちるが、2004年(平成16年)、ダニエレ・チニ監督の『ラスト・フード』の脚本執筆に参加した[1]。 フィルモグラフィ
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