セラフィン・アベンダーニョ
セラフィン・アベンダーニョ(Serafín Xoaquín Avendaño Martínez、1838年10月12日 - 1916年8月23日)はスペインの画家である。長くイタリアで活動し、風景画や風俗画を描いた。 略歴ガリシア州ポンテベドラ県のビーゴに生まれた。父親のホアキン・アベンダーニョ(Joaquín Avendaño:1812–1886)はバレンシアの師範学校の校長などを務めた後、外交官として、アメリカ、イタリアなどで働く人物である。家族とマドリードに移り、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーでアントニオ・マリア・エスキベルやヘナロ・ペレス・ビジャミルに学んだ[1] 。1858年には展覧会で銀メダルを受賞した。 家族の支援があり、1860年代に、アメリカ、イギリス、フランス、スイスなど世界各地を旅した。1864年に権威のある展覧会で賞を得て1866年に助成金を得て、イタリアに移り1891年までイタリアに滞在することになった[2]。イタリアでは、ジェノヴァやその周辺で活動し、トリノ県のリヴァーラなどの風景を描いた「リヴァーラ派」と呼ばれる画家たちの中で活動した。イタリア滞在中も、定期的にスペインに戻り、展覧会に参加したり、故郷のビーゴの風景を描いた。 スペインに帰国後は展覧会の審査員を務め、雑誌「Blanco y Negro」の挿絵を描いた[1]。 1918年にバリャドリッドで没した。 作品
参考文献
関連図書
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